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鳥たちのさがしもの 6

少年は日常を探していた。アーケードの続く商店街。シャッターの閉まった店がパッチワークで散らばる。青果店の隣のコロッケ屋で買い食いをする。生徒指導の巡回はないな。魚屋の大将が猫に煮干しを投げて寄こした。

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-斑鳩のさがしもの・夏-

 夏休みの課題の絵をつまらないと言ったのは確かに斑鳩だった。しかしそれを楽しいゲームに変えてくれたのは孔雀だ。斑鳩はそれを少しだけ悔しく思う。つまらないからこうしようぜ、と自分が提案できれば良かったのに。
 夏休み中に、他の四人からそれぞれひとつずつお題を受け取った。斑鳩が探さなければならない組み合わせは”トンネル・裏山”、”日常・商店街”、”進路・港”、”ベクトル・建設現場”の四組だ。
「ベクトルって何だよ」
 とりあえず一番身近だったアーケードの商店街を歩きながら思わず声に出して呟く。夜鷹の考えていることは小難しくて分からない。
 景気づけに青果店の隣のコロッケ屋で、大好きなポテトコロッケを二つ買った。夏休みだから誰にも文句を言われないはずなのに、何となく見回りの先生に見られていないことを目の端で確かめる。先生の代わりに、魚屋の軒先で煮干しを貰っている猫が目に入った。
 自分も猫のフィンチを連れてくれば良かった。
 相棒が居ないことを心細く思いながら、商店街を海に向かって歩く。歩きながらコロッケをひとつほおばった。
 この道は鶴岡八幡宮の参道だ。大きな道の両側に店舗が並ぶ。斑鳩は八幡様を背にしながら歩いていた。一番海に近い大鳥居をくぐると店の姿はほとんど見えなくなる。随分歩いて海にぶつかった。向かって右が由比ヶ浜、左が材木座。どちらも有名な海水浴場だった。
 遠くに逗子マリーナが見えた。あそこまで行けば"港"が手に入るが、歩けば一時間以上かかる。できればバスを使いたい。別な日に出直そう。
 斑鳩は砂浜に直接腰かけて二つ目のコロッケを口に入れた。
 コロッケを食べながら、自分の”日常”とは何だろうと考える。
 学校がある時には、朝起きて支度をして学校に向かう。斑鳩が到着する頃には既に燕と夜鷹は登校しているので、二人が話している場所に行って挨拶をする。雲雀と孔雀は居たり居なかったりだが、とにかく五人揃ったらいつもの日常の始まりだ。誰かが欠けたらそれは非日常になる。
 授業を受けて給食を食べて休み時間には皆で遊ぶ。下校したらお互い予定がない限り再び五人で集まって遊ぶ。ほとんど毎日それの繰り返しだった。我ながらよく飽きないと思う。五人で居ると、いくら時間があっても足りなかった。これまでも友達には事欠かなかった斑鳩だが、あの四人はこれまでとは違う。
 仲間のことを考えて思わず脱線しそうな思考を慌てて元に戻す。斑鳩の”日常”に商店街は関係ない。まあ、だから燕は敢えて”日常”と”商店街”を組み合わせたのだろう。それに、自分の日常でなければならないとは言っていなかった。そこまで考えて斑鳩は閃いた。
 脳裏に先程見たばかりの商店街の様子が思い浮かぶ。斑鳩は勢いよく立ち上がると、先程より早い足取りで今来た道を引き返し始めた。
 あの猫にとっては、あの魚屋に通うのが”日常”に違いない。

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少年は進路を探していた。港のドック。運河に架かる橋から貨物船の進水式を眺める。斧が綱を切ると、シャンパンボトルが船腹で砕け散った。ドックに海水が侵入する。デッキの上空で群れるカモメ。猫が毛を逆立てた。

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 思い直して逗子マリーナではなく湘南港に来て良かったと斑鳩は満足げに頷いた。やはり貨物船は格好良い。あの船はこれからどこに向かうのだろうと考えた。船は水平線に向かってまっすぐ進んでいく。
 卒業前に『将来の夢』という作文を書かされることは分かっていた。それは毎年卒業文集に載せられるのだ。斑鳩はまたしてもそれをつまらないと思っていたが、貨物船には乗ってみたい気がした。
 将来の夢は貨物船の船長です。なかなか悪くない。それなら書いてやってもいいかもしれない。
 斑鳩は貨物船に向かってカメラを構える。あの船の”進路”は未来だ。誰かのいつかの生活を支える物が載っている。自分も、誰かの未来を運ぶ仕事がしたいと思った。
 写真を撮り終えて振り返ると、野良猫が逆毛を立てて何かを威嚇していた。お腹が空いて気が立っているのかもしれない。それを見たら急に空腹を感じた。今日も電車に乗る予定だったのでフィンチは家に置いてきた。
 江ノ島名物たこせんべいをおみやげに買って帰ろう。

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少年はベクトルを探していた。マンションの建設現場。薄曇りの空に、クレーンが鎌首をもたげ咆哮をあげる。列車の貨物基地の跡地。よく父と来た。今は鉄骨と足場しか見えない。猫がトタンの下を潜り偵察に出かけた。

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 夏休みの終わり付近、斑鳩はマンションの建設現場に来ていた。最後のお題をクリアするためだ。
 ”ベクトル”を辞書で調べたら、”大きさだけでなく向きも持った量”と出てきた。調べても意味が分からない。いったい夜鷹の頭の中はどうなっているのだろう。
 ここは列車の貨物基地の跡地で、小さい頃によく父親と遊びに来た。昔から、人でなく物を運ぶ乗り物に憧れていたのだ。荷物を運ぶ乗り物は、人に媚びていない気がする。
 皮肉なことに、ここでは今、父親との思い出の場所である貨物基地は取り壊され、父親が重役を務めている建設会社の主導の元にマンションの建設が進んでいた。父親にとってここは思い出の場所ではなかったのだろうか。それとも、大人になったら自分の思い出の場所さえ壊さなければ生きていけないのだろうか。
 父親の会社の経営が危ないことは、両親の会話から分かった。だからといって、思い出の場所がなくなってしまうのは嫌だ。
 薄曇りの空の下、鮮やかな黄色のクレーンが次々と瓦礫を吊り上げダンプカーに載せていく。あと一週間もすればここはきれいな更地になるだろう。
 夏休みの終わり、壊されていく思い出の場所、曇り空が合わさって、斑鳩は酷く哀しい気持ちになっていた。
 足元でフィンチがにゃあと鳴き声をあげた。今日は自転車で来たのでフィンチをかごに乗せてきた。連れてきて良かったと思った。
 そんな斑鳩の気持ちを知ってか知らずか、フィンチは近くに落ちていたトタン屋根の破片の下をくぐり、反対側から顔を出した。その姿を見て、斑鳩は先日見つけた秘密基地に思いを馳せた。早くまたあそこに行きたい。
 四つ這いにならないと通れないトンネルを抜けると、そこにはぽっかりと空間が開いていた。近くに人の気配は無かった。少し辺りを探検してみて、どうやらそこは本来七里ヶ浜側からお参りする鷲宮神社の奥社の更に裏側らしいことが分かった。これは大発見だ。斑鳩の胸は高鳴った。
 急いで”トンネルと裏山”をカメラに収め、坂道を転がるようにして下った。家に帰るなり、スマートフォンのチャット画面から他の四人宛にメッセージを打ち込む。「すげえもの見つけた。明日十時、駅に集合!」
 五人ともスマートフォンを持たされていたが通信が無制限でないため、家の外では必要最低限の通信しかしないようにしている。返事はすぐには返って来ないかもしれないと思ったが、皆家に居たらしくすぐに了承の返事が来た。そして翌日、斑鳩たちは秘密基地を手に入れたのだ。
 この夏休みの間、すでに何度かそこに集まった。撮り終えた写真を披露しあったり、漫画を読んだり、おやつを食べたり、くだらない話をしたり。場所が秘密基地だというだけで、いつもの遊びが冒険のようにわくわくしたものに変わった。
 あの場所は、五人の思い出の場所だ。壊されたくはない。自分が大人になっても自分の手で壊すのだけは絶対に嫌だ。
 ”大きさだけでなく向きも持った量”って、つまりは意思なんじゃないか?そう考えて斑鳩は、かろうじて残っていた風化した貨物車両と、それが乗っている錆びついたレールをカメラに収めた。勿論背景に黄色いクレーンを入れることも忘れない。
 自分は思い出を捨てる大人になんかなるものか。この写真の中では、ここはいつまでも思い出の貨物基地だ。

『古き思い出』-斑鳩

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この物語はdekoさんの『少年のさがしもの』に着想を得ています。


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