「らしさ」は日々の何気ない記録の中に。
とくに書きたいことがあるわけではないけれど、今日、なにかを書きたい。
そんな気持ちで、パソコンに向かっている。
少し前までは、書くことにたいして、もっとしっかりとした理由をもっていた。
日々なにかを感じて、考えて、言葉にする。
なにか特別なことをするとか、成し遂げるとかよりも、
生きて、心で感じられるあらゆるものを味わい尽くすことが大切。
だから書いていた。書くことは自分のなかで随分大きな存在だった。
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だけど最近、書くことへの必死さのようなものは、だいぶ薄れてきている。
それは、書かない日々を多く過ごしてみて、書かなくても、かたちにして証明しなくても、生きて心で感じることはなくならないな、と思ったから。
書くことはやっぱり楽しくて好きで大切だけれど、書かないと自分のなにかが損なわれるというほど、必死に守らなければいけないものではないと思っている。
たぶん前は、自分にとって大切なことだという想いが強いゆえに、書くことへのハードルも上がっていたのだ。
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今日感じている「書きたい」はもっと等身大のもの。
単純に、気持ちって思っているよりはるかに忘れるもので、変わるものなんだと実感することがあったから、今日の気持ちは今日書いておかなきゃな、と思ったのだ。
大学最後の年の夏。少し遅いけれど、最近やっと気持ちが整って、就活を本格的に始めた。
が、いざ「大切にしていること」や「実現したいこと」を言葉にして伝えようとしても、どうもしっくりこないことが多かった。
そしてそんなとき、前に書いたnoteを見返すことで、ああそうだった、と納得のいく言葉を見つけることも多かったのだ。
「じぶんにとって大切なこと」とか、じぶんらしい心の動きって、日々のほんとうに小さな出来事や、何気ない瞬間のなかにあるんだなと思った。
大切なことはなんですか?と問われてこたえる言葉よりも、
ほんとうに心が動いた瞬間に、かたちは整わなくてもぱっと浮んだ言葉のなかにこそ、じぶんの軸とか、強い気持ちは現れる。
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とにかく。今日の心は、今日の言葉で、今日のうちに。書き残してみよう。
今日のささやかな記録が、いつかなにかを発見する手がかりになるかもしれない。
そんなシンプルな気持ちが、今日、書くことの理由になっている。
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