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"100点の一歩"より、"1点の一歩"を100回でよかったんだ。

土曜日。

ホームから空。いい空。ただ空。
まっさらな気持ちで電車に乗る。たしかに今、ここにいる。このはじまりの感じが好き。


昨日というか最近。やりたいこと、行きたいところ、日々少しずつ少しずつ抑え込んでいったら、もういいや。願っても叶わないんだ。と心が諦めてしまいそうだった。固く乾いて動かなくなりかけてる心が、すごく悲しかった。
だから明日は、諦めてしまう前にぜったい行きたいところに行こう、心がぱあーっと晴れるように過ごそうと思って、一人で箱根にでも行こうかなと思っていたけど、連絡をとっていた友達と、明日会おう!ということになり、鎌倉に行って、友達の友達が働いているカフェに行って、それから温泉も入ろうということになったのだ。


あ〜たのしかった。

だいじなことがよくわかったので、記録。

わたしは結構、自分の気持ちに敏感で、ほんとうはどうなのかということに厳しいところがある。
そのせいでつい、やりたいとかいいかもと思っても、それがベストなのか?にこだわってしまって、ベストじゃないんじゃないか、ほんとはこうしたいのにちょっと違う!みたいなことをいちいち思ってしまうところがある。

これはほんとに精神が弱ってるせいでもあったのでほんとなんだそれって感じだけど多めに見て欲しいというところですが、夜遅く、鎌倉に行くって決まったとき、ちょっと一瞬怪しかった。

友達と約束する前にはなんだか行ったことない場所に行ってみたかったので箱根に行くかなと思ってたのだ。だけど友達が鎌倉行きたいと言ったのに合わせて、鎌倉いいね温泉もあるよと言った。自分で言ったそのくせに、行ったことないところに行くという願いがひとつ叶わなくなったことに、言った直後にまた勝手にどよんとしてしまったのだ。

なにかこう、「やりたいことができない、叶わなかった」というものにとても敏感になってたんだと思う。だからなにか思ったのと違うふうに進みそうになるたびに、「あ、また叶わないぞ!もうやだ!」と過敏になってたんだと思う。

でも、そのあとすぐ思った。
鎌倉行って、たとえばその足で箱根にひとり一泊して帰ってくるなんてのもありじゃないか。むしろ面白い。

なにかひとつの出来事からつながる結果は、絶対にひとつじゃない。
なにかひとつ選べなかったとしても、叶わなかったとしても、そこからいつでも、いくらでも、選べるし叶えられる。

そう思ったらまた一気に元気になって、
鎌倉ならそうだなあ、美味しいお酒飲んで、あとなんかいい古着屋さんあったら行きたいな。
などなどいろいろとアイディアが浮かんできた。

結果、鎌倉を満喫しすぎてほろ酔いで帰宅。
べらっべらしゃべって、行く前には予想しない景色や出会いがあって。

はじめの一歩をどこに向けて踏み出すかよりも、とにかく一歩を踏み出すことが大事だったんだ。そしたら次の一歩がやた出るわけだから、その一歩をまた行きたい方に向ければいい。
やる前から、これは楽しいのか?うまくいくのか?と考えても仕方ない。それは最初の一歩だけでは決まらないのだから。

そして、もちろん幸せになりたいなら、幸せになる可能性のある一歩を踏み出さない理由なんてなかった。
50%くらいの幸せになりたいなとは思ってない、必死とは違う意味で、せっかく生きてるのならできるだけハッピーがいいと思ってる。
それなのに、その可能性のある一歩のうち半分しか踏み出さないとしたら?
その一歩が百点満点かよりも、幸せを願う足で常に一歩を踏み出してみる。それが一番大事だし、そうしてさえいれば、心は諦めない。じぶんのいのちを信じてくれる。

そんなことがわかった土曜日でした。


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