他者のニーズは先回りせず待ってみる。
「課題の分離」「自分と他者の境界線」…
最近はいろいろなところで、自他の区別をはっきりとさせ、他人に揺さぶられることなく、また他人を揺さぶることもなく、自分は自分の人生を生きようというようなメッセージを見かけます。
それは私にとってもここ数年の大きなテーマだったし、ある程度は実行してきたつもりでした。
けれどまだまだ、他人の領域をコントロールしたりケアしたりしようとする自分が残っているみたい。
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例えば母との関係において。
あることについて私から母に話していないことがあり、それを話さなければと思う気持ちと、話したくないという本音の狭間で、もやもやと自己嫌悪が募っていました。
随分と長い間、「どうして私はこのことを母に言えないのだろう…」という方向でこの課題をとらえていたのですが、ふと、母のニーズを先回りして叶えようとする自分がいることに気がついたのです。
母は私に話してほしいと言ってきたわけではないのに、「話してほしいんだろうな」と読み取って、話さなければいけないと自分に課していたんです。
母も心配しているだけじゃないか、とか、隠すことじゃないだろうとか、いろいろな声が自分のなかにあってそれももっともなのだけど、わたしの「話したくない」と、母の「知りたい」は本来イーブンなもののはず。
向こうのニーズを優先しなければならない明確な理由はありませんでした。
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そんな自分にはっと気づいて思ったのは、
他者のニーズは先回りせず待ってみてもいいのでは?ということ。
今回の件で言えば、母が知りたがっているなら話すのもありだとは思います。けれどそれは、話してほしいとはっきり求められてからでも遅くない。今はひとまず、私は話したくないから話さないでいよう、母が求めて来たら、その時どうするか考えよう。
そう思えたらとても楽になりました。
重要なのは、相手のニーズを先回りして満たしてあげないとしても、それは相手のニーズを否定することとは違う、ということ。
両方を満たすことが難しいときはいったん、自分のニーズを満たせばいい。
自分のニーズを満たしながら、落ち着いて、相手のニーズも待ってみる。お互いが自分のニーズを提示してからはじめて、一緒にお互いのベストを目指す。
きっとそれで十分。
自分と相手双方にとってのベストは一緒につくればいいものなので、自分一人で全体のベストを実現しようとしなくていいのだと思います。
無理に両方を満たそうとして自分の本音をねじまげたり、その反動で相手のニーズを否定してしまったりするより、結果的に健やかなのではないかと思うので、しばらく実践してみようと思います。
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