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数字では表せない、たった一人の"その人"がいること。

昨日のnote、ちょっと挑戦だった。
自分にとってほんとうに大切な気づきのことだったから、きちんと人に届くよう、しっかり整えてから公開しようと思っていた。

でも大切だからこそ、なんとなくぬるくなって、書かずじまいになるのはいやで、とにかくそのまま書いてみた。


表現したいことを眠らせずに表現できたことはすごく嬉しかったし、
調整を加え過ぎず、心からそのまま表現する感覚が少しわかったのも収穫だったなあと思う。


だけどそういう満足感とは別に、

もっとたくさん反応がもらえたらなあ…

とも思っていた。


たくさんの人に読んでもらいたい。
読んでよかったと思ってもらいたい。

自分がそういう気持ちをもったこと、いけないことだとは思っていない。
noteという人の目に触れる創作の場で書くからには、あって当然なものだと思う。


でも、たくさんの人に読んでもらいたいと言いながら、読んでくれた人がいる、それがどういうことなのかちゃんと見つめられていなかったんじゃないか。


1つの"スキ"が贈られた裏側には確実に、
たった一人の"その人"という存在がある。

その人の生きる時間のほんの一瞬でも、わたしが心から表現したものに触れてくれて、そして何かを感じてくれたという、かけがえのない事実がある。


「文字通り、たった一人の、"その人"としてのいのちを生きて、日々何かを感じている。」


自分にとってとても当たり前のことが
他のすべての人にも、それぞれ違うかたちで、でもみんな同じ重みで存在していること。

知っているのに忘れそうになってしまう。



どんな人で、どんなふうに暮らしていて、わたしのnoteを開いてくれたその日その時どんな気分だったのか、正しく知ることは到底できない。

でも、わからなくても見えなくても、
たしかにそこに、たった一人の"その人"という存在がある。


それをただの数字としてしか受け取れないのだとしたら、かなしい。





想像する。

真実はわからないけど、そこにたった一人の"その人"が生きていることを、思い描いてみる

わたしはそうありたい。


おこがましいかもしれないけど、

わたしのnoteに出会ってくれた人。
わたしが出会ったnoteを生み出してくれた人。

"その人"たちと、
ほんの一瞬、一緒に生きた

その一瞬が過去になって、出会っていてもいなくても同じなように思えたとしてもきっと、
わたしの中に、その人の中に、小さく小さくなにかが残っている。

そんなふうに思えたら、わたしはすごく幸せだなと思う。



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