「幸せになれる選択」を諦めて、幸せになる覚悟を決めることにした。
私はいま大学5年生で、今日という今日まで、就職活動をしている。
大学4年に上がる時に休学をして、宮城県気仙沼市に移住した。
まちづくりの会社で中高生の探究学習の伴走をしたり、オンラインの対話型プログラムの運営に関わったりした。
高校まで、目の前のことに全力投球!型だった私は、大学に入ってからというもの、生きたいように生きる難しさをどう乗り越えるか、がテーマだった。
だから大学3年の就活では、人がもっと自由に主体的に生きられるような貢献のできる仕事を探していた。
でも、自分ができなかったことを、会社に入れば達成できるというのもおかしいな、と思って、自分がまず経験しようと思ったから休学したし、そういう力を育む教育に携わるインターンをした。
そのうち、何か力をつける、成長するためにということだけじゃなく、もっとただ、その人その人のそのままの感性や思考を大切にする場もあっていいんじゃない?と思ったから、対話の場にもかかわった。
その後も、そのときそのとき、こういうものがあれば人は(自分も)幸せになれるんじゃないか、と思ったいろんなことを、少しずつ積み重ねてきた。
経験して、学びと違和感をもらって、それをまた経験に移して。
そんなこんなで、就職活動をちゃんと始めたのは、7月の末だった。
そこからしばらくいろんな業界を受けて、9月の頭に内々定をもらった会社で体験のインターンをした。学びもたくさんあったけど、どうしても企業とマッチしていない違和感を感じる部分もあって、きちんと伝えて話し合った。せっかく気づきが得られたなら、それをもとにもう少し就活を続けてみようということになった。
そうやって、この2年くらい、少しずつ少しずつ、これが好き、これは嫌い。幸せをつくるいろんなパーツを自分なりに集めてきた。だから就活も、納得できるまでやろうと思って粘ってきた。
だけど、わかった。
100%の幸せを信じて進める道なんて、ない。
あらかじめ、わかってしまう。
素敵な会社だと思っても、心の内で不満を抱えている人はいる。
理念にどんなに共感しても、そうじゃない現実も存在する。
探し続ければ見つかるわけじゃないんだと、わかってしまった。
妥協しないで、ごまかさないで、嘘つかないで、やってきたつもりだったけど、「選ぶこと」にどれだけ粘っても、心に一点の曇りもなく選べる選択肢はなかった。
今そこにすでにある「会社」という組織を選んで、自分は一員として加わるのに、初めから自分にとって最高な環境が整った場所なんて、あり得なかったんだ。
当たり前だろ、何甘えたこと考えてるんだ、って言われるかもしれない。
自分でもそう思うから悔しいし、人生は取捨選択、自分が何を選ぶかどうかだってわかっていたつもりだったけど、心のどこかで100点を探し続けてしまっていたんだと思う。
高校を選んだとき、大学を選んだとき、休学を選んだとき、
ぜったいしあわせになれる、ぜったいここに行きたいって思っていた。ああいう時代はもう過ぎていて、それが大人になるってことなのかもしれなかった。
*
そんな、幸せになれる選択肢を諦めた今、手に入れようとしているもの。
それが、幸せになる覚悟だった。
いますぐは無理だとわかったけど、幸せになっていくことを諦めはしない。
今はない力がわかったなら、その力をつけにいく。これまでと違う持久戦、まだまだ怖いけど、そうやって生き抜くのだ。
どんな環境でも、「自分はどうするか」を考え抜くこと。
そのときのできる限りの幸せのために。
どんな環境でも、輝く人はいる。
バラ色ではない、苦しいことがたくさんあるとわかっていながら進んでいくってほんとうに怖いけど、
その時その時、いろんなことをフルに感じてみよう。
豊かじゃないな、幸せじゃないな、と感じるなにかに触れた時こそ、幸せをわかっていく人、心のあり方をぐっと見つめてなにかに気づいていける人でありたい。
どんな道を進んでも、あらゆることを自分の目で見て、感じて、考えて、味わえる人。じぶんの心で生きて、表現できる人になることだけは、諦めずにいようと思う。
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