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「生きているということ」

「生きているということ
 いま生きているということ」

谷川俊太郎の「生きる」という詩のこの言葉が、わたしはとても好きです。

通勤電車の乗り換えを、遅刻しそうなわけではないのに張り詰めた気持ちでこなしている時。
1日を終えた布団のなかで、「普通」の今日が終わっていくなあと思う時。
過ぎたはずの間違いや嫌なことが頭の片隅から消えない時。

毎日なんども、この言葉を心に浮かべる。

この言葉から受け取っているもの。それは簡単に言ってしまえば生きていることへの絶対的な肯定のようなものなんだと思う。

でもその「肯定」的な感覚は、善悪や損得の基準をもとにジャッジした結果の「肯定」ではなく、無条件で、理由のないもの。
他人の人生や自分自身の過去や未来と比較して得た「充実」とも違うし、「いろいろあるけど人生は素晴らしいんだ!」と頑張って信じようとするようなものでもない。

いま生きているということ。
肯定も否定もできない、ジャッジなんて及ばない、無条件で、たとえ終わりが来ても揺らぐことのない完璧なもの。
善悪や損得の分かれ目もないくらい、ぜんぶを包むもの。

生まれて、生きている。
そのうえでなにがあっても、なにかが足りない気がしても、ほんとうにほんとうに完璧なのだ。

でもだからといって、それだけで幸せを感じられるかはまた別の話で。だからきっとわたしたちは毎日を一生懸命生きるし、叶えたい夢もあるし、正しくあろうとしたりする。

だけど時々は思い出したい。
ほんとうは生まれた時点ですべてをもっていて完璧で、
そのうえ、いま生きているという事実があること。今日1日、誰かをひどく傷つけたりはしなかったこと。

それでもう100点なんてとっくのとうに超えているのに、そのうえ機嫌良く早起きして、好きな人たちと連絡がとれえ、美味しいものが食べられて、優しいことがあったなら、もうじゅうぶん。

なんにも欠けてなんかいない。

そんなことを、頭で考えて無理やり思うわけでなく、自然と感じさせてくれる言葉が、
「生きているということ いま生きているということ」という詩のいっぺんなのです。


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