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【Vol.4】キリマンジャロもサハラ砂漠も制覇した、福岡糸島のキャリアコンサルタントが見つけた「Playfulに生きる」とは?

32歳、リクルートを退職し仲間と独立

2016年3月9日、寺平さんを含む同級生6人で「合同会社こっから」を設立した。リクルートでマネジャーを目指すことに意味を見いだせなくなっていた寺平さんは、「こいつらと一緒にいることが楽しい」と、迷うことなく退職を決めた。

僕はやりたいことがあって独立したというよりは、こいつらと一緒に何かやりたいという思いで独立したんです。だから、合同会社こっからとして独立した時に、みんなのあれやりたい、これやりたいという会話についていけなかった。当事者じゃなかった

「どちらかというと、何やりたいのかを探しているくらいの感覚でいた」という寺平さんは、他のメンバーからの「お前何してんねん?」とのプレッシャーを感じていた。

「みんながPlayfulとか言ってる中で、僕自身はPlayfulのかけらも感じることができなくて。なんで、こんなに仲間に詰められて、しんどいことやってるんやろう。僕の居場所はここじゃない、こんなに楽しくない独立は意味がないと思った。本気で、独立一年目で辞めようと思っていました。あの時、人生で一番しんどかった

そして、僕は歩き出す

何かやりたいのにやりたいことを見つけることができずに苦しんでいた寺平さんは、学生時代の後悔を、ふと思い出す。スミケンに「京都から東京まで、1号線を歩こうや」と誘われたが、お金もないし、バイトもあるからと断った。

「なんで、あん時歩かへんかったんやろう」

冒頭に記したように、寺平さんは後悔を晴らすために一人で歩くことを決めた。
「それめちゃいいやん。距離的にも1000キロ以上あって体も鍛えられるし、一人で乗り越えるとなると自分の器が磨かれてるんちゃう?」

寺平さんのふとした思いつきを、こっからの仲間も応援してくれた。

2016年4月24日から5月10日までの17日間で東京から福岡までの1100キロを歩くことに決めた。17日間で歩き切るには、1日62キロ、時速6キロで10時間ちょっと。ペースが落ちたら12時間歩かなければ期日内にゴールに辿り着かない。

「朝早くから歩けばなんとかなるだろう。美味しいものでも食べながら行こう」くらいの気持ちで東京を出発した。景色を楽しむ余裕があったのは、神奈川に入るところくらいまで。それ以降は、両足がガチガチに固まり、太腿や膝が痛み始めた。休むことばかりを考えていた。

「なんでこんなしんどいこと始めたんやろう。もう初日やけどリタイアしよう」

ホテルを目指して夜の山道を歩きながら、寺平さんは心に決めた。

ホテルにつくと死んだように眠った。朝起きて、まだ足も痛む中、とりあえず歩き始めた。「途中でリタイアすればいいか」と思いながらも、今までの旅路を無駄にしたくないとの思いも湧きあがってきた。足の激痛に耐えながら、無心でひたすら足を動かしていたら2日目もホテルに着いた。

ヘトヘトになりながら、2日間歩いてみたことで、見えてきたものがあった。
一時間で自分がどれくらい歩けるのか、どれくらい疲れるのか、自分のペースを掴むことができた。そのことで、この辺で休憩を挟もう、もう少し歩こうと、戦略を立てることができるようになった。3日目以降、心に余裕が出てきていろんなことに感情が持てるようになった。

道中楽しむ

Googleマップを頼りに歩いていると、マップが示す最短距離の道は、実際は人が歩いて通れないことがある。3−4キロの道を30−40分かけて歩いては、引き返すということが時々起こる。足が痛む中、往復1時間を無駄にしたことに最初は腹を立てていた。

歩き出して3日目、またマップの示す道が通れず引き返すことになった時、ふと、寺平さんの気持ちに変化が起きた。

これさえも楽しむことが大事やな。道を間違えて引き返すことを楽しむのか、腹を立てて終わるのか。せっかくなら道中も楽しみたい。これは人生にも通ずるものがある」

捨てるを覚える

歩き続けて10日目、大阪に着いた寺平さんは、リクルート時代の先輩2人に連絡をとり会うことになった。高架下の居酒屋で珈琲焼酎を飲みながら弱音を吐いた。

「12キロのリュックがとにかく重いんです」

「なんでそんなに重い荷物持ってんの?大阪の実家に全部を置いていったらええやん」

先輩の言葉に寺平さんはハッとする。

何かあった時のためにとリュックいっぱいに荷物を詰め込んでいた。それが、結果的に自分の身を重くし、歩く上での負担になっていることがわかった。大阪まで10日間歩いたことで、何があれば過ごせるのかも大体わかった。

寺平さんは、リュックを大阪の実家に置いていくことを決意した。クレジットカードとスマホと充電器だけをポケットに詰め込んで、再び歩き始めた。体も心も軽くなると、景色を楽しんだり、あれ食べよう、これ食べようとの気持ちが湧いてきた。重荷がなくなったことで、歩くこと自体を楽しめるようになったのだ。

「備えあれば憂いなし。だけど、備え過ぎるのはよくない。こっからの仲間との関係性や仕事のプレッシャー。恐れや不安から重い荷物を背負うことを選んでいるのは自分自身。荷物を手放したことで、物理的にも精神的にも軽くなり、どうやったら楽しめるだろうと考えるようになった

決めるのは全部自分

最終日、福岡県の門司から100キロを歩き切り、ゴールの福岡に到着した。

歩くと決めたのは自分
リタイアすると決めるのも自分
道中を楽しむかどうか決めるのも自分
荷物を下すことを決めるのも自分
やり切るのも自分

決めるのは全部自分

東京から福岡まで1100キロにも及ぶ旅は、寺平さんにかけがえのない気付きを与えてくれた。「これまで何を気にしていたんだろう。仲間に色々言われようとも、僕自身が楽しめるように頑張ったらええんやと思えるようになったんです」

寺平さんが事業として取り組んでいた人材紹介についても、どうやればもっと楽しくできるかを考えるようになったことで、自ずと業績もついてくるようになった。

その後も、キリマンジャロへの登頂、サハラマラソンの完走、漫才コンビを結成してM-1グランプリへ出場、福岡のLOVEFMでラジオDJとしてレギュラー番組を担当するなどさまざまなチャレンジを続けた。その過程で、リクルート時代から16年間続けてきた人材の仕事でも、もう一段チャレンジしたいとの思いが湧いてきた。

人のキャリアや生き方を応援する事業をもっと幅広く進めていきたい。そのためにも、より自分自身で裁量を持って事業経営ができるよう、「合同会社こっから」の事業部としてではなく、別会社として事業をスタートさせることを決めた。起案当初は「本当にやるのか?」と反対する仲間もいたが、頭を坊主にして覚悟を示したことで、最終的には「やってみよう」と新会社設立の承認をとることができた。

今、仕事が一番楽しい

2022年11月11日、株式会社つぶだてるを創業した寺平さんは、代表取締役兼キャリアコンサルタントとして、求職者のキャリア支援や企業の採用コンサルティングを行っている。

「自分で決めてやることの責任の重さや、面白さを感じている。一方で資本金が減っていく緊張感もたまらない。短期の業績をどう上げるか、また、長期的にやっていくことも考えながら、仕事に向き合えていることがめちゃくちゃ楽しい」

「合同会社こっから」として独立した2016年、某イベントで寺平さんは、”自分の在り方”について「好きな仲間と働くことが、自分の在り方につながる」と話していた。7年経った今、寺平さんが感じる”自分の在り方”に変化はあるのだろうか?

「シンプルに、誰かを楽しませることが僕のど真ん中にある。人を笑わせるのもそうだし、人のキャリアを応援するのもそう。自分自身も楽しみたい」

幼い頃から、ラジオDJとして身一つで人を楽しませる父の背中を追いかけてきた。間近で見る父は、誰よりも楽しそうに仕事をしていた。



「他人の評価や人の目を気にしなくなったというのが、僕は、イコール”Playful”なんじゃないかと思っています。

周りを気にせず、僕がやりたいことをやる。
今”Playful”に生きています」

                                                       (インタビュー・文=さおりす


最後に

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