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エリン・メイヤーの『異文化理解力』を読んでみた。

あなたに異文化理解力はありますか?

この本の帯には「海外で働く人から圧倒的支持!!」と書かれてあるが、これはかなりミスリーディングだ。海外で働く人から指示されているのは間違いないだろうが、国内でももはや日本人以外と働くことは珍しいことでは無くなってきている。

東京都に限っていうと、都の生産年齢人口は約900万人。一方で外国人労働者数は50万人。働く人の約5.5%が外国人という現状だ。事業所数ベースでみると約65,000の事業所で外国人を雇用している(2019年)。東京都が2017年に発行した「経済センサス‐活動調査」によると都内には62万の事業所があるので、少なくとも10%の事業所では日々外国人とともに仕事をしている計算になる。

そして外国人を雇用していなくとも、ビジネス上で海外企業と取引を行う企業は多いだろう。要するに、多くのビジネスパーソンがこれから常識として持っておかなければいけないのが、この「異文化理解力」なのだ。

私が日本の代表を務める会社は本社がイスラエル、アジア太平洋地域の本社がタイのバンコクにあるため、当然日本人以外とのコミュニケーションが日常になっている。そのため、日本でメンバーを採用する時も、多文化間コミュニケーションを経験したことのある人を優先して採用している。

しかしながら、それでもコミュニケーション上の問題は発生する。

そんな日常があり、この本を手にとって読んでみたのだが・・・。

この図をみて欲しい。

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これはこの『異文化理解力』第七章 p.271でまとめられた世界の国々のマッピングだ(図は英語版)。縦軸が「感情表現の豊かさ」、横軸が「対立への向き合い方」を表す。日本は右下、「対立を避け、感情表現控えめ」のゾーンの一番端に配置されている。

一方、我が本社イスラエルの人々はどうだろうか。左上、「感情表現豊か、対立も辞さない」ゾーンの、しかも一番端にいる。

OMG。

イスラエル人は、日本人からみると西洋人のように見えるが、中身は全く違う。日本人からすると相当不躾で、超直球、止めなければいつまでも話している。そんな人が多い。しかしイスラエル人の立場で日本人を眺めてみるとどうか。意見を求めてもなかなか返ってこない、言ったとしても結論がなかなか出てこない、決定が遅い、上司に聞かないとわからないとすぐ言う。そんな風に見えてることだろう。

ハイコンテクスト文化 vs. ローコンテクスト文化

こういう文化的な違いをハイコンテクスト文化またはローコンテクスト文化という。彼女は以下のように定義している。まさに日本はハイコンテクストで、イスラエルはローコンテクストだ(このコンセプト自体はエドワード・ホールが考え出したもの。彼の著書『文化を超えて』に詳しい)。

ハイコンテクスト文化:良いコミュニケーションとは繊細で、含みがあり、多層的なものである。メッセージは行間で伝え、行間で受け取る。ほのめかして伝えられることが多く、はっきりと口にすることは少ない。

ローコンテクスト文化:良いコミュニケーションとは厳密で、シンプルで、明確なものである。メッセージは額面通りに伝え、額面通りに受け取る。コミュニケーションを明確にするためならば繰り返しも歓迎される。

普段のイスラエルとのコミュニケーションを振り返り、そういうことなのかと合点が言った。

ただし、ここで大切なのは違いを認識することだ。決してどちらかが優位、劣位ということではない。この違いを互いに認識しておくことで、ゲーム(コミュニケーション)を始める前にルールをセットすることができる。

このマップをイスラエルにいる日本人(イスラエルには日本人が約1,000人住んでいる)に見せたところ、彼女はこう言った。

「でも、だからこそ足りないところを補い合うことができるのかも」

素晴らしい物の見方にグッときた。

同じハイコンテクスト文化内での相違

著者エリン・メイヤーはフランスとシンガポールの拠点を置くINSEADというビジネススクールの客員教授でもあるので、ローコンテクスト文化の例として、他にもビジネスでの事例で日本が数多く登場する。

興味深いのはエピローグの中での日本と中国の比較だ。

日本とイスラエルは指向性が極端に違うため、初めからお互いに「自分たちは違う」と認識しており、ある意味違いを受け入れやすい。一方で日本も中国も同じ東アジア文化圏にあり似ているところも数多いため、一緒に働いている場合、なかなかその違いを受け入れにくい。エリンの用いた指標で日本、中国、そして米国を並べると以下の通りとなる(図は監訳者である田岡先生が教授をされているグロービスのホームページより)。

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この図を見てみると、日本と中国は①コミュニケーションと③説得、④リードでほぼ同じスコアで、②評価と⑥信頼においても近いスコアになっているが、⑤決断と⑧スケジューリングへのアプローチは極端に違う。これはチームに中国人メンバーを持つ僕としてもとても共感できるマッピングだ。本の中でも紹介されている通り、中国では知らない人、外部の人には激しいコミュニケーションをとる場合があるが、そしてそういうケースがよく日本のマスコミでは取り上げられる傾向にあるが、ネットワーク内部の人にはとても階層的(リスペクトフル)かつハイコンテクスとなコミュニケーションを取るというのが僕の実感でもある。

ローコンテクスト文化の中にも濃淡がある

1982年にブリティッシュ・エアウェイズが、インドネシア上空を飛行中に火山灰の影響で4つのエンジン全てが停止するという緊急事態に陥った。その時の機長エリック・ムーディはこうアナウンスしたエピソードも紹介されている。

「ご登場の皆さま、こんばんは。機長のエリック・ムーディです。エンジン全四機が全て停止するという小さな問題が起きました。復旧に全力を注ぎますので、あまり心配なさらぬようお願い申し上げます。乗客係の責任者は操縦室まで来てください」

もし自分がこの飛行機に乗っていたら、これが全く「小さな問題」ではないことは自明で、パニックにさえ陥りそうな状況だ。実はこのイギリス人機長がアナウンスで使った「小さな」や、他にも「若干」「かもしれない」「とも言える」などの言葉はダウングレードする言葉として紹介されている。日本のようなハイコンテクスト文化ではとても重要な言葉だ。特にネガティブな内容を伝えなくてはいけない時に。

でも機長の出身国イギリスはローコンテクスト側に位置するはずだ。おかしいのでは?と思うかもしれない。確かに日本からみるとイギリスはローコンテクストだ。しかし同時に欧米を中心とするローコンテクストグループの中ではもっともハイコンテクストであり、こういうダウングレード表現が得意なのがイギリスなのだ。

目はふたつ、耳もふたつ、でも口はひとつ。

この本でもっとも大切なメッセージは、異文化コミュニケーションを行う場合、相手がどういう文化圏に属するのかを知り、その特徴、自国文化との共通点そして相違点を理解し、文化的柔軟性を高めようというところにある。イギリスだから、中国だから、ローコンテクストだから、ハイコンテクストだからと決めつけることが異文化コミュニケーションの目的でもゴールでもない。相手と自国の特徴を知り、それをベースに相互理解を深めよう。

この本の中で、中国人の母親が娘に伝えた教えが印象に残っている。「目はふたつ、耳もふたつ、でも口はひとつ。その数に応じて使いなさい」 ー これは異文化コミュニケーションを取る上でも、示唆を与えてくれる言葉だ。自国文化を高らかに主張するのではなく、相手の立場で見て、聞く、そして時には自国文化の特緒をユーモアと謙遜を持って伝えることができれば、深い相互理解に一歩近づけるはずだ。

ぜひ異文化に関わる全ての人に読んで欲しい一冊。


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