西東緑赤

せいとう りょくせき(雅号)。大阪出身、東北在住。大学卒業後、数社の企業勤務を経て、現…

西東緑赤

せいとう りょくせき(雅号)。大阪出身、東北在住。大学卒業後、数社の企業勤務を経て、現在は児童養護施設の臨時職員。また、4月より専門学校で保育を学ぶ。鉄道職員として約10年の経験を持ち、中でも遺失物事務係員の経験が長い。社会における鉄道の役割を考察する「識り鉄」。手話を勉強中。

マガジン

  • 西東緑赤の晴耕雨読

    「遺失物事務所歳時記」「児童養護施設のドタバタ日記」ほか、生活の中で面白いと思った事を共有します。詳しくはプロフィール記事をご覧ください。

最近の記事

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恐々、noteを始めます。それにあたって決めておきたいことなどを、散文的に記します。

事務的な話、ないしは約款的な話ひとつの「マガジン」を公開する。有料公開。月額500円。ひと月に5本以上の記事を書く。2021年12月1日開始。 他に、無料公開の記事(本記事のような)、「つぶやき」も書くが、あまり頻繁には書かない。 「マガジン」を購入すると、これまでにそのマガジン内で公開された全ての記事を1か月間読むことができる(何らかの事情で削除された物は除く)。マガジンを継続的に御購入になると、新たな文章がひと月に5本以上提供され、従前に公開された文章(御購入より前に

    • 組織に内部点検は不可欠

      最近、学割証の発行手続をめぐって学務課と揉めたのだが、JRの友人や本社へ照会しようかと思い、改めて学割証の裏側の「この割引証の使用上の注意」を読み返した。すると、照会するまでもなく、どう考えても学務課が間違えていることが判明した。JRに連絡していたら恥をかいていたところだ。

      • 被災地のあとあと

        いつもは見向きもされず、 災害があれば大注目を浴び、

        • 年頭の挨拶、雑感、ほか徒然

          読者の皆様、謹んで新年の御挨拶を申し上げます。今年もよろしくお付き合いください。 年末はクリスマス後に感染症で学級閉鎖。数日前倒しで休暇へ。年始はゆっくりと9日から。おそらく連休と成人式の関係。 妻はわたしに合わせて年休を取り温泉にでも…と画策するも、今日明日はどうしても出勤せねばならず断念。明日は午後休を取ると言っているが、どうなることやら。 明日は時間があれば妻の実家へ行って、遅めの年始の挨拶の予定である。夫婦とも聾の義父母は、聴者であるわたしと手話で話せるのが嬉し

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        記事

          「スパイダーマンの服って」

          児童養護施設での小学生との会話。 「スパイダーマンの服って、すぐ色薄くなるんだよ」 「薄くなる?」 「一回洗濯したら薄くなって、白い服に赤いのが付くの」 「Oh, 本物の服の話かいな?」 「うん。スパイダーマンのパジャマ」 「それは可哀想に」

          「スパイダーマンの服って」

          「移住」が軽すぎる

          FacebookのAIがわたしの投稿から「移住」という語を拾ったらしく、色々な地域の移住サポートサービスをサジェストしてくる。 いやいや、わたしは既に移住したのだよ、というツッコミはさておき。 数えきれないくらいの地域が「移住」を受け入れてるのね。 しかし、わたしもやってみてわかったけれど、移住って、けっこう重い決断が要るぞ。 人間関係、仕事、住居、医療、福祉など、「あなたが今居る所よりも良いですよ!」と胸を張って移住を勧めている所がどれだけあるだろう。

          「移住」が軽すぎる

          バス停に「運転手の退職理由」を標示することの適切性

          こう掲示したい気持ちはよくわかる。こうでもして啓発したい、理解を求めたい、どうか悪く思わないでほしい、という思いは当然のことだ。運転手不足について、この会社や社員を責める訳にはいかない。 ただ、公共交通機関は、いつも何事もなく正確に運行することが何よりの使命で、これを守ることが従事員の矜持である。必要な標示は全て行い、不要な標示は全くしないことが理想だが、これを停留所に標示することは適当だろうか。

          バス停に「運転手の退職理由」を標示することの適切性

          おわびと御報告

          さて、まず、投稿が滞っていることについて、読者諸氏に御詫びせねばなりません。 大変申し訳ございません。 学業、仕事、体調不良などが重なり、パソコンに向かう時間が短くなってしまっております。原稿のストックがなくなり、書きかけの原稿を仕上げることすらできなくなっていました。どうか御許しくだされば幸いです。 返金を御希望の方はお申し出ください。

          おわびと御報告

          組織的暴力を先導する教員が多くいるようだ

          タイトルやグラフを見るだけでやるせなくなる。 「先生が誰かを怒るのを見るのがしんどかった」 全員の前で吊し上げたり、クラスで裁判めいたことをさせたり。 調査のあった滋賀県内だけの話とは到底思えない。

          組織的暴力を先導する教員が多くいるようだ

          駅員が遅延時に「謝罪」する本当の理由

          特に都心部でということになろうが、列車が遅延したり運転を見合わせたりした時、 「本日は列車が遅れまして、御客様にはお急ぎのところ大変申し訳ございません。お詫び申し上げます」 などと放送することが多い。 この謝罪放送は、会社によってはあまり行わないところもあるが、首都圏の鉄道会社は強弱あれど「申し訳ございません」と事あるごとに頻繁に放送している。 わたしも、駅にいた頃に遅延が相次いだことがあり、「最近『申し訳ございません』って何百回言ったっけなあ」と呟いたことがある。

          駅員が遅延時に「謝罪」する本当の理由

          小田急の不審な列車支障事案

          複数の列車の窓が同時多発的に、となると、投石などの列車妨害行為が強く疑われる。しかも、窓が割れているということは、そこそこ強い力で確信を持って投石している。線路の敷石(バラスト)を適当に手にとって投げたところで、動いている電車の窓を割るのは難しい。

          小田急の不審な列車支障事案

          ワンマン化して大丈夫? - 車掌の業務の正しい認識

          労組の指摘は正当。 そもそも、車掌の業務とは何だろうか。 世間ではあまり認知されていないが、車掌はドア開閉と放送の係ではない。

          ワンマン化して大丈夫? - 車掌の業務の正しい認識

          母子健康手帳に見つかった、行政のつまらない意識

          「お母さんがお父さんに赤ちゃんを任せて外出できるようになると、お母さんも助かります」 「お父さんも赤ちゃんとスキンシップをしっかりもち、おむつを替えたり、お風呂に入れたり、できることから始めましょう。お母さんがお父さんに赤ちゃんを任せて外出できるようになると、お母さんも助かります」 「お父さんも育児を」 2023年にもなって、このような文言が母子健康手帳に載ったそうだ。 Twitterで炎上したのを受けて、元となったこども家庭庁の文書が訂正されたという。 実に嘆かわ

          母子健康手帳に見つかった、行政のつまらない意識

          保育の専門学校での生活

          政治行政系統を主専攻としていた大学時代と較べてみる。驚くことがたくさんあって、今も慣れない。気づいた点をここにいくつか挙げてみる。 学級がある 学級といっても一学年20名ほどなのだが、決まった教室があり、学生の中から「学級委員長」「体育委員」「行事実行委員」など決められる。わたしは「副委員長」。委員長を補佐するだけの、若干面倒だが基本的には楽な役割である。 「担任」がいる 学級に担任講師がおり、学級のことを全て掌握している。問題や相談事、提案があればまず担任に相談する

          保育の専門学校での生活

          「男女交際禁止」という決め事の浅はかさ - 十代の性欲と向き合った施策の必要性

          男女交際禁止の校則は減った(あるいは死文化した)のではないかと思うが、部活単位で残っている所は多いようだ。 専門学校のある授業で講師が手を挙げさせたら、スポーツ系の部活出身の子が何人も挙手した。 他にも「登校時から下校時までスマホ没収」「髪色が明るい場合は地毛証明書を運用する」「ネイル禁止」などの意味不明な校則が判明して、なかなか興味深く聞かせてもらったが、そんな所で3年間も過ごすのはさぞ窮屈だったろう。 ところで、男女交際を制限する理由は何なのだろう。

          「男女交際禁止」という決め事の浅はかさ - 十代の性欲と向き合った施策の必要性

          「暴力」という語を「体罰」や「虐待」と言い換えてしまう社会の悲しさ

          指導を笠に着た私刑(私的刑罰)は、当然許されない暴力である。 そして、それを「体罰」と言い表すことも、暴力を助長する行為である。

          「暴力」という語を「体罰」や「虐待」と言い換えてしまう社会の悲しさ