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夜に埋める【掌編小説】

「元気ですか」

適当に打った一文は宛先不明で戻ってきたから、わたしは安心して、この宛てどころのないメールを書くことができます。

君のことをひさしぶりに思い出したのは、KさんがSNSで君の投稿をシェアしていたから。

「ミルク、愛してたよ。ありがとう。さようなら」
ドライな君には似合わない、甘く感傷的な言葉。

君が作業場で飼っていた白猫は、もうあの場所にいないのか。
猫の体からは陽だまりの匂いがすることを、わたしにはじめて教えてくれた可愛いこ。ベッドに寝転ぶ二人の間にあのこが割りこんでくるたびに、「川の字にしては真ん中が短すぎる」なんて笑ったね。

家族にも友達にも言えない秘密をいくつも抱えていた君の、すべてを知っていたのは あの白猫だけかもしれない。

あれから、もう十年。
「あなたはきっと、年齢を重ねるほど素敵な人になるよ」
君はよくそう言って、わたしの頭を撫でてくれた。

今のわたしはね。それなりに寂しくて、それなりに幸せで。
平凡な生活をおくってる。
君が思い描いた女性には、きっとなれていないよ。

君の秘密のひとつだったわたしのことを知っていたのも、あの猫だけだった。

君の愛人になった、なんて思ったことはなかったな。
強いていえば、わたしはあの猫みたいになりたかった。

君の秘密も、君の狡さも、ぜんぶ許して ただ隣で寄り添う存在に。
それでね、「あなただけが僕をわかってくれる」って、ずっと笑ってて欲しかった。
猫になれなかったわたしは ぐちゃぐちゃな感情を捨てられなくて、最後にはたくさん君を困らせてしまったけれど。

猫がいなくなってしまって、君が心を許せる相手はどこかにいるの?

今のわたしならきっと、あの頃より上手に君を慰めてあげられるのにな。
それでも、君が安心して涙を見せられる相手なんて、あのこ以外にきっといないね。
人前では泣けない君の隣に、せめて優しい誰かがいるといい。

元気ですか。
わたしは元気です。
いろんなものを手にいれて。いろんなものを失って。
そんな風に月日は流れていきますね。
君がひとしきり悲しんだあとに、どうか心から笑える日がきますように。

あの頃のわたしを見つけてくれた 君と猫。
ありがとう。さようなら。

こんな文章は夜に埋めて、わたしは平凡な生活に戻るのです。


お読み頂き、ありがとうございました。 読んでくれる方がいるだけで、めっちゃ嬉しいです!