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【散文】 「家」

2015年ごろから「家」というものについて考えることが増えた。
きっかけは、父方の伯母Yの死。
父にはお姉さんが3人いて、東京のとある会社の社長夫人だった伯母Yが病気のため亡くなった。
伯母Yの旦那さんは既に亡く、お子さんもいなかった。
その資産と所有していたマンションが、伯母Yと一緒に暮らしていたもう一人の伯母、Kに渡った。
しかし伯母Kは認知症を患っていた。
伯母Kにも配偶者や子どもがおらず、認知症の進行とともに一人暮らしが困難になった。
父は東京を訪れ、伯母Kを地元・秋田に引き取り、医療介護施設に入れた。
伯母Kはさまざまなことを忘れていったが、穏やかな顔で施設で過ごし、数年後に亡くなった。

伯母Kが秋田に移ってから、東京のマンションは1年ほど残された。
私は比較的近くに住んでいたためその片付けを手伝った。
あまり付き合いのなかった二人の伯母の生活の痕跡をゴミ袋に詰めていく。
伯母二人がとても丁寧に、趣味多く、仲の良し悪しはともかく、なんだかんだと会話をしながら助け合って暮らしていたであろう痕跡がそこら中から感じられた。
それぞれ高校を卒業して家を出て「金の卵」と言われながら働き、恋愛し、暮らしてきた年月。
彼女たちにとって、秋田とは、実家とは、どういう存在だったのだろう。

彼女たちのかつての実家は、今、私の実家となっている。
実家を受け継いだ父が、十数年前に建て替えた。
部屋は当然のように私たち姉弟に当てがわれ、お盆休みや年末年始に帰ってきては羽を伸ばす、まさに「私の実家」となっている。
でも、ここは本当は、彼女たちの実家でもあるはずなのだ。
秋田に戻った伯母が住む権利だってあるはずなのだ。
でも伯母はそれを求めなかったし、父も母もそれを口にはしなかった。
認知症の伯母が「実家」に帰ると、父母が介護をすることになる。
父も母も、そして伯母自身も、その困難をわかっていたのだと思う。

でも

自分が伯母の立場だったらどう思うだろう。
生きてきた時代や常識が違うとはいえ、私だったら……
自分が生まれ育った家が弟によって新しく建て直され、弟夫婦が住んでいる。
弟夫婦の子どもたちはそれぞれ独立し生活しているが彼らの実家となっている。
病を抱え、故郷に帰ってきたものの、その家に自分の居場所はない……

なぜだろう
なぜ人はその状況を「よくあること」「仕方がない」と受け入れられるのだろう
仮に強硬にその家での生活を要求し実現したとしてもお互いに快いものにはならない
なぜだろう

その疑問の答えは見出せないまま、月日がすぎた。
ある日、弟が秋田市内に家を建てると言い出した。
実家は秋田県の中でも辺鄙な場所にあるので、やむを得ない選択だと思う。
ただ、父母のショックは大きかったようだ。
「立派な家を建てたのに、子どもたちは誰も戻ってこない」
父が不意にそう独りごちたのを私は聞き逃さなかった。
でも何もいえなかった。

私も別の場所に家を建てる予定でいる。
家を建てる段になって初めて、父の建てたこの実家がいかに立派なものかがよくわかるようになった。
この家を誰も継がないということは、親への裏切りのような気持ちになる。

でも、と思う。
弟が家を建てずに、この家に住むとしたら?
実質的な支配者は母から義妹に移ってゆくだろう。
私は(義妹がそう思うかどうかは別にして、世間的には)「結婚して実家を出たのによく帰ってきては長居をする、邪魔な義姉」となるだろう。
弟の子どもからしたら「家によく来るお客さん」になることは間違いない。
そしていつかは足が遠のく。
「私の家」ではなくなってゆく。

でも、とまた思う。
過疎化が進む実家の近辺では空き家となって朽ち果てて手のつけようが無くなってしまった家屋をよく見る。
どれだけ大切に思っていても、思い出が詰まっていても、そこに住み、煮炊きする人がいなくなれば家は朽ちる。
住まないのに守りたい。それは傲慢な考えのようにも思う。

「家」とは何か。
風雨を凌ぎ、寝食の場となり、暮らす場所。
ただそれだけのはずなのに、なぜこんなにも思いがこもってしまうのか。

別の場所に建てている私たち夫婦の家ができたら、そこに暮らし始めたら
私にとっての「家」はまた違うものになるのだろうか。