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ノリスケを笑えない。〆切を守ってもらえない編集者の気持ち。

私の職業は、書籍編集者だ。
私はよく、自分の職業をオーケストラの指揮者に例える(おこがましくてごめんなさい)。

指揮者は基本、楽器を奏でてはいけない。
演奏者と同じ立場になってしまうと、全体が把握できないからだ。

バイオリンを担当する作家さんは、気持ちよく音を奏でられているか?
ピアノを弾くデザイナーさんの体調はどうか?
イラストレーターさんのトランペットの調子はどうか?
営業・宣伝のハープは、ちゃんと音を当てにいっているか?

こんな具合に、1曲(1冊)を作り上げるために、1段上がった台の上に乗って全体を見渡すのだ。

私の指揮棒のタイミングがずれてしまうと、とんでもない不協和音を生むことになる。
最もわかりやすい不協和音が第一バイオリンの遅れ
――そう、作家の原稿遅れだ。
ココがずれてしまうと、指揮者である私は、ピアノにもトランペットにも、ハープにも平謝り。
会場(会社)にも土下座だ。

今も、原稿を書いてくれない先生がいる。
〆切は、2020年7月30日だった(2021年ではありません)。

先生の、テクニックは巧妙で、
「本日原稿の〆切りですが、ご進行はいかがでしょう?」
と一報を入れると
「すみません! どうしても、確認したいことがあるので、今日の18時までには何とか送ります」
「あと、1日ください」
「明日までに第一章を、明後日までに第二章を、来週頭にはすべて書き上げます」

と、かなり具体的な予定を教えてくれる。
私は都度、先生が提示する日程にお伺いメールを送るのだが、そのたびに即レスで微妙に後ろ倒しされた新しい日程が送られてくる。
思い切って、1か月延ばしてみたこともあるが、結果は同じ。

メールでも電話でも、オンラインでも、何とか原稿が欲しいと涙ながらに訴えてみても、現状は同じ。

先生は、なんとか〆切を逃れようと、あの手この手で私に連絡をしてくる。
「子供が熱を出しました」
「義母の具合が悪くて」
「体中に湿疹が出ました」
「別の仕事でトラブルが…」

そんなこんなで、1年と2か月が経過している。

私の会社には、冊数のノルマがある。
年間、個人に割り当てられた冊数を出さねばならない。
同じく、編集の相棒である営業にもノルマがある。
編集から提示された刊行予定を基に、売上を立てて、会社に提示する。
彼らを巻き込みたくない。

年度末は3月。
じわりじわりと延ばされた〆切を見限る判断を誤ってしまったため
私は、昨年、ノルマを達成することができなかった。
幸い昨年出したほかの本の調子がよく、数字的には達成できたが
冊数を上司に指摘され、評価を1段階下げられた。
よって、昇給額もやや減った…。

――こんな裏事情、先生には言えない…。
急かしたところで、よい作品が生まれるわけではない。
私が欲しいのは渾身の原稿で、付け焼き刃のような原稿が欲しいわけではない。

だから、待つしかないのだが、しがない会社員の私はときどき、
発狂しそうになる…。
ヨガの瞑想の時間に、先生の顔が浮かぶ。
日曜の夜はベッドの中で「うわぁ…」と小さくつぶやくことがある。
悪夢にうなされるときもある。

『〆切本』という本がある。

夏目漱石から、村上春樹まで、大作家たちの〆切にまつわる話が詰まった本だが、何ページか読んで、具合が悪くなって、放置している。
先生が無事、原稿をくれたら、最初から読み直そうと思う。

私とは対照的に先生のSNSは毎日元気だ。
140ワードという制限された中での先生は、言葉があふれ出てくるらしく
1日に何度も何度も言葉を紡ぐ。
この1年と2か月分のつぶやきを集めたら、本1冊分になるのでは?
と嫌味を言いたくなるくらい元気だ。
裏アカを作って、「つぶやく前に原稿書いてください!」と訴えるという妄想も、おそらく10000回くらいした。

日曜日のサザエさんで、ノリスケが伊佐坂先生の原稿が上がらず、磯野家で時間をつぶしているシーンをたまに見ると、涙が出そうになる。
ノリスケ、偉いよ。
子供のころ、頑張っているノリスケを笑ってごめん。
窓の外を見て! 伊佐坂先生が逃げようとしているよ!
という、謎の感情で見入ってしまう。

今日も夕方に、絶対上げる! と、強めの決意表明があったので
待っているのだが、先生の夕方って、何時までなんだろう…。

ただ、私はノリスケが伊佐坂先生を嫌いにならないように、
先生のことも嫌いになれない。
この先生なら、このテーマで絶対おもしろい本が作れるはずだと信じて
プロポーズをするように口説いてオファーをしたのだから。

ここまで待ったのだから、きっといい本になると信じてます。
ノリスケと一緒に、原稿を待ちます。

ただ、今日はもうおなかが減ったので、ご飯を食べてお風呂に入って、ベッドに入ってもいいですか…?


【続き】

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