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Dai Tamesue 為末大さんのマガジン【抜粋】

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イメージトレーニングを考察する

長文ファンの皆様おはようございます。 トレーニングで最も教えるのが難しいのは「イメージトレーニング」です。純粋に本人の主観体験であるためにアウトプットを確認することができないからです。トマスネーゲルが言うように体験は観察できません。 いや、MRIなどを撮って脳内の反応で測定する方法があるではないかと言われるかもしれません。しかしどの反応が良いかという基準を決める際に、結局イメージトレーニングが上手い(どうやってそれを知るの?)とされる人の主観報告に頼るしかありません。

トップアスリートが持つ特性の分析

長文ファンの皆様おはようございます。 トップアスリートは努力するだけではなることができません。「勝負強さ」と「ぶれない執着心」が必要です。しかし、これには裏の側面もあります。 勝負の時、アスリートは多くの期待を背負っています。観客がたくさんいる中で、自分のプレーでチームの勝敗が決まる。さらには観客もそれで一喜一憂するわけです。 よくアスリートは優しすぎるとダメだと言われますが、もう少し正確に言えば「共感を遮断できなければならない」だと思います。社会的重圧の正体は他者への

わかるとはなにか

わかるとはどういうことでしょうか。何かがわかったと感じることや、わかったと相手に聞いたり、自分で言うことは多くありますが、しかし、本当にわかっているのか確認するのはとても難しいことです。 中国語の部屋という話があります。ある部屋がありそこに人が入っています。小さい窓がありますがそれ以外には全く外との接点がありません。部屋の中にはたくさんの辞書と単語カードがあります。その小さな窓から中国語単語が渡され、それに適合する英単語を中にある紙から見つけ窓から出します。外から見ればまる

諦めるセンス

私は「あきらめたらそこで試合終了ですよ」という言葉に励まされた世代です。スポーツの現場でも厳しい局面で諦めなかったことで勝負が覆る瞬間を見てきました。一方で、何かに熟達し経験を経ていくと、勝敗が決したことを察する瞬間がどんどん前倒しになります。 笑い話ではありますが世界で最も優れたチェスの打ち手同士が勝負するとコイントスをしてどちらが先に打つかわかった瞬間に「参りました」と投了する、という話があります。熟達した世界の勝負ではミスが起きにくく、勝負のセオリーもお互いに熟知して

モチベーション

昨日Sports Performance Summitの中のセッションで「どうやってモチベーションを維持していましたか」という質問がありました。振り返るとモチベーションを維持するという考え方はあまりしていなかったような気がします。それがコントロール可能なものであるという前提に立っていませんでした。 飼い主と犬で例えます。犬が飼い主を引っ張っていくようなそんな形が理想です。犬が主体性を感じイキイキするのでその方が勢いも出るし、持続可能だからです。一方で、犬が行きたいように行か

言語化とはなにか

長文ファンの皆様おはようございます。 さて「言語化」という表現がありますが、しかし具体的にこれは何を指しているのでしょうか。言語は何かをはっきりと相手に伝えることに向いていません。現実の情報量に対し、言語はあまりにも情報力が少なすぎるためです。 私たちがもし「東京駅」を過不足なく相手に伝えようとするなら、「東京駅」そのものが必要になります。到底そんなことは不可能なので「東京駅の地図」を使います。言語はよく言われるように「現実の地形」と「地図」の関係に似ています。上から見た

本番で力を出し切ることの難しさ

長文ファンの皆様おはようございます。 体験しないとなかなかわからないことの一つに「本番で力を出し切る難しさ」があります。その力があることと、必要な時にその力を出し切れることは違う話です。陸上競技の世界では「その年のベスト記録」と「本番(五輪や世界陸上)でのタイム」を比較して「本番発揮率」を調べる方法があります。10"00がその年のベスト記録だった選手が9秒台で走れば発揮率は100%を上回り、10秒以上かかれば100%を下回ります。 走る能力を高める努力と、発揮率を高める努

トレーニングは必要なのか

私たち競技者は「トレーニング」と「パフォーマンス」を分けて語りますが、実際にこの二つは大変曖昧なものです。仕事においてはほぼ同時進行で、実際に仕事しながら学び、学んだことを仕事で活かすことが繰り返されます。トレーニング⇔パフォーマンスです。 スポーツではトレーニングはもう少し重視されます。これは外的環境の安定性の違いからきます。スポーツのルールも勝利条件もこの数十年ほとんど変わっていませんが、社会を見れば、昔はインターネットもありませんでした。トレーニングは、ある目的に対し

何が正しいことかわからないステージ

何かを極めていく上で避けられない苦しさは「何が正しいかわからない」です。最初のうちは基本的な理論があり、それに従っていけば強くなりますが、次第にそのようなものがなくなっていきます。 それは「個別性」が強くなるからです。みんなに効く方法から、自分に効く方法を選ばなければ上にいけなくなります。しかし、自分に効く方法は教科書には書いてありません。ですから自分で選ぶしかない。 選ぶしかないのですが、それが合っているのかどうか確かめようがないわけです。とにかくやってみるしかない。

コーチの質問

コーチの質問によって選手の能力は大きく変わります。特に何かを失敗した後は大変なチャンスです。 ただの叱責はほとんど学びを生みません。「どうして失敗したのか」は失敗を詳細に分析する方法としては優れていますが、過去に目を向けがちです。私の経験した中で最も良い質問は「何を学んだのですか?」です。これは失敗の分析を行い、そこから抽象度を上げて、さらにそれを未来にどう活かしていくかまでが含まれています。 理屈上、人は学び続ければどこかではうまくいきます。いつかはなんとかなると思ってい

確率を漂う力

確かにこれだけ情報が多い中で、かつ自分の知らない世界に簡単に触れらればどうしても混乱します。 私はあれこれ仮説を立てるのが好きなのですが、その全ては「まあないけどもしかしたら」から「おそらくほぼ」の間に置かれるようになっています。元々はそうではありませんでした。 陸上競技の良いところは、どんな仮説もタイムで明らかにされてしまうところです。いろんな意見も理論もありますが、要するに速く走れるかどうかが全てです。 言葉遊び的なこと、理屈をこねくり回すことが、レースの瞬間に一切

最高だったあの時の自分とどう向き合うべきか

日経平均が過去最高を更新しそう(した?)という話があちこちで出ています。ようやくという人もいれば、他国ではとっくに何倍にもなっているとかいろんな意見が出ています。 私は陸上競技をやっていましたので、過去の数字と今の自分をずっと比較してきました。100mで0.1秒伸ばすのに11年かかりました。陸上はそういう競技です。 自己ベストは数値の上で自分を超えたと理解できるのでとても嬉しいものです。数字は客観的ですから。 言い換えると人は「客観的な指標」を示されないと、自分が成長し

ゾーンと現実感

長文ファンの皆様おはようございます。 アスリートはゾーンと言われる深い集中状態を体験することがありますが、その世界を体験した後、現実感が疑わしく感じられるようになりました。日常の現実感は「現実であると意識している」感じですが、ゾーンの最中の現実感は「現実に直接触っている」と感じます。正確にはゾーンを体験してから日常の現実感が変わってしまいました。 私たちは日常何かを認識する際にモデルを用いていることが知られています。自分の中にそのモデルがなければ認識することができません。

言語化とは世界の編集である

数年前から言語化の会という名前で若い起業家たちと集まっているけれども、改めて言語化とは何かと考えると「世界の編集」ではないかと思います。言葉にするということは世界からそれを切り出すということで、文章は世界の分け方、つまり編集方法を提示しているのではないかと思います。 例えば人間以外の生物にとって世界は「捕食する、遺伝子をつなぐ、捕食される、それ以外」という見え方になっているのではないかと思います。詳しくは「生物から見た世界」に書かれています。生存に関わるところの情報は重く、