確率を漂う力
確かにこれだけ情報が多い中で、かつ自分の知らない世界に簡単に触れらればどうしても混乱します。
私はあれこれ仮説を立てるのが好きなのですが、その全ては「まあないけどもしかしたら」から「おそらくほぼ」の間に置かれるようになっています。元々はそうではありませんでした。
陸上競技の良いところは、どんな仮説もタイムで明らかにされてしまうところです。いろんな意見も理論もありますが、要するに速く走れるかどうかが全てです。
言葉遊び的なこと、理屈をこねくり回すことが、レースの瞬間に一切吹き飛んで現実が露わになります。私は本来頑固で思い込みが強いのですが、この定期的に現実に晒される世界で、自分の考えを修正せざるを得ませんでした。
だからと言って、誰かが言っていることや、データではっきりしていることだけをやっていても速くなりません。新しいアイデアを試すことも大事です。
そうすると自然に自分の考えが
「まあないけどもしかすると」から「おそらくほぼ」
の間に収まるようになります。
絶対にあり得ないもなく、絶対にそうだもなくなり、全てが宙ぶらりんの状態になります。
正しいことは何もなくなり「確からしさの程度」になります。
この状態は気持ち悪いです。何しろ世界が不確定になることですから。
昨日この状態をネガティブケイパビリティと言うのだと教えてもらいました。なるほど確かにそんな感じがします。
ではこのネガティブケイパビリティは何によって支えられているのか。端的に言えば「答えがなくても気にならない力」、または「空を受け入れる力」ではないかと思います。
イメージは空中浮遊のようなものです。土台がなくつかむものもない中で、現実も幻も曖昧な中で漂う感じでしょうか。
私の好きな言葉は「もしかすると」とか「ひょっとすると」という言葉です。
そういう仮説がいっぱい頭の中で浮かんでおり、本を読んだり、人に話を聞くことで、それが修正されたり、消滅したりしています。
はっきりしない自分が情けないなと思う時もありますが、好奇心が毎日刺激されるので人生としては楽しいです。
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