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「順番だから」って、こういうことだったのかな。


よく母が「順番だから」と言っていまして、今も良く言います。

別に何かの行列でなかなか順番が回って来ないということではなく、

「衰えること」や「死んでしまうこと」を指しているようです。

前は「何言ってんだか」と思っていましたが、自分が40代に突入して急に喘息を発症し、そこを起点としたかのように心疾患も発症したり。

そして、噂に聞いていた「四十肩」なんかは、まさかの3回目に見舞われたり。

親が「ここが痛い」「あそこが痛い」とよくボヤいていましたが、順当に踏襲しています。


自分がアイドルなんかに若干お熱だったりしていた時代には、

「みんな同じ顔だ」、「同じ歌に聞こえる」と言われ、「うるさいなぁ」と怒っていましたが、今は完コピで区別は全く出来ません。

「何でだろう~、何でだろう~っ♪」と懐かしく考えてみると、若気の頃はそんなに経験や知っていることも多く無いから、記憶されることが新鮮だし、興味もかなり強く持つので、たとえそのアイドルグループの人数が多かったとしても区別もつくし、歌も覚えたいからもちろん聞き分けられます。

そう考えると「興味を持て(た)なくなった」ことが大きいんだなぁと。

今だって好きなことや興味を持つ出来事なんかはありますが、以前ほどには執着心を持たなくなっているような気がします。

生活や心身が一杯一杯でも無いので許容量はあると思いますが、のめり込むところまではいきません。

「かけがえのないもの(こと)を無くすのが怖い」ってこともなく、楽しんではいますけど。


きょうは用事があって実家へ行きました。

母からのLINEにスタンプが多用されるようになってきたので「使えるようになってきたね」と褒めると嬉しそう。

しかし本人曰く「電話とメールとLINEが出来ればそれで良い」とのこと。

ネット通販をしたり、調べ物をしてみたら良いんじゃないかと薦めてみますが「面倒くさい」と。

「死にかける」ってことではありませんが、「順番」って大事では無いものから、捨てるというか手放していくってことなのかもしれません。

寂しい話に聞こえそうですが、大事なものや出来事は最後まで残すと思うので、これはこれで良いのかも。

親のやっていたこと、変化していく過程を自分もなぞっていることを考えると、降りかかって来る出来事(特に体調や記憶力系)には凄く納得出来る部分が多いです。


人の振り見て何とやら。

楽しむことは楽しんで、出来ることはきちんとやって。

「順番」に駆け巡るであろう走馬灯が、楽しい出来事・思い出でいっぱいになりますように~!


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