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いつか、必ず。

20年ほど前に勤務して会社のことです。

高校を出て初めての就職でした。

同級生の9割が進学するところ、自分と友達の2人くらいがクラスの中では就職組でした。

何で就職を選択したかと言いますと、何といっても勉強が嫌いだったから。

小学校・中学校が超絶に勉強が出来なくて、高校受験では中学浪人になりかけるところでした。

首の皮一枚で希望校に受かった状態。

そんなことがあったので大学なんか行くわけ無い、そんな風に思っていました。


高校三年の夏には推薦で就職が決まっていましたが、それから血迷って急に勉強を頑張って無駄なクラス内で2位、学年360人中で推定15位以内くらい(推定がミソ)の美しい成績をなぜか納めました。

担任に「大学受験しないか?」とちょいちょい聞かれましたが「イヤです」なんて言ってみたり。

打ち上げ花火のような成績だったので、気を良くして受験何てしていたらドン滑りだったことでしょう。

通知表に「4」と「5」だけ、しかも「5」多めなんて、夢のようなひと時でした。


そんなこんなで第一希望だった会社に意気揚々と入社しました。

当時あった支店の中で1位・2位を争う忙しい支店へ配属となり、超がつく明るいモーマンタイな先輩と仕事バリバリの激コワイ先輩の間に挟まれ、腸を超やられながら仕事を体得していきました。

急性腸炎、痛いですよねぇ。。。


先輩のお二人はそのまんま超絶に仲が悪かったのですが、それぞれに良い意味で可愛がって頂けていたので、仕事の後はそれぞれに食事や飲みに連れて行って頂いたものです。

お酒は飲んだことが無かったのですが、飲みに行けば行くほど飲めるようになって行ったのもこの頃でしょうか。

時効ということで。。。


激烈に忙しい支店だったので、来る仕事も一般的から年一回あるか無いかまで幅広く経験出来ていたと思います。

配置された部署の仕事はほぼ全部マスターしていたので、3年目位で他部署へ異動を希望していました。

年二回の異動の時期には期待をしていたのですが、後輩の入って来ることも無い状態で、ペーペーの希望はスコーンと通ることはありませんでした。


・・が、5年目に待望の部署へ店内異動の辞令がっ!!


ウキウキで新しい仕事に挑める上に、その部署の上司・先輩が最強メンツだったため、ますます難しい仕事でも楽しく取り組めました。

前任者が年間のミスが相当数だったと聞きましたが、自分は年間ミスが実質ゼロ。

1回だけカウントされたのは、自分が夏休みの間に先輩のおっさんに「これだけは必ずやっておいてください」と念には念を入れてお願いしていた業務をポロリと忘れられたためでした。

夏休み明けのリフレッシュ&ツヤツヤで出勤した日にそれを知って、おっさんを鬼詰めしたことも懐かしい思い出です。


そして、異動しての2年目になろうとしていた、ある日。

「より責任のある仕事も担当してもらうね」

と、上司から打診されていて、

「はい!頑張ります!!」と初々しさをまだ残していた矢先。


・・・まさかの支店異動。


しかも異動先では、以前の部署の仕事をやることになりそう、とのこと。

それを聞いた同期の女子は仕事中なのに怒って勝手に早退してしまいました。

アリだったのは「時代」なのか、彼女の資質だったのか。。

帰りたいのは自分の方でしたが・・・


後で聞いたところによると、通常は人事から異動させる人間について支店長宛に打診があるそうなのですが、自分の異動はかなり喫緊に決定されたそうで支店長も寝耳に水だったそうです。

支店長が人事と交渉を粘りに粘ってくれていたようですが、自分を希望してくれている支店の支店長の方が強かったようで、撤回ならず。

同期も怒っていましたが、自分もかなりガッカリしたことを覚えています。


渋々異動した先が物凄くヒマな支店な上に、やりつくした業務の再開。

仕事はキチンとやりますが、どうしても前向きになれず。。

ただ同期が多く、年齢の近い先輩とようやく出来た後輩ともウマが合ったので、ほぼ残業無し・仕事に魅力無しの店舗の唯一の利点として、終業後の飲み会ライフは充実していたなぁ。。

その支店の上司とは1年を経過した辺りで業務上のいざこざがあり、あまりにも理不尽に見舞われることが解消されず「辞めたるわぁぁぁ、ボケぇぇ」といった感じで辞めることにしました。

残念なことに、自分の仕事を出来る人員がいなかったため、3か月後に辞めるつもりが半年後まで延ばされて、後輩に仕事を引き継ぎする羽目に。

後輩が「TSNさんが辞めるなら、私も辞めようかな」と不穏なことを言う事をなだめつつ。。。


そして、半年後の退社日。

帰りの終礼で支店長や上司に労いの言葉をかけて頂いたりした後に「ひと言、ぜひ」と言われました。

しおらしい感謝の言葉を述べてから、唐突に、


「皆様のご健康と店舗のご多幸を祈念しまして、万歳三唱!!!」

熱く、

バンザーーーーイ × 3回!!!


大人しい方が多めの支店でしたが、みなさん笑いながら乗って下さいました。

結構な辞め方だったのですが、それはそれとして盛り上がった退社日でした。


いまは流浪の転職を重ねて、ひとりで会社をするに至っています。

ほぼ自宅みたいな事務所で仕事をしています。


「良く出来るね」

「メリハリつかなそう」

元同僚や先輩方、友達によく言われます。


そこは、特に激コワイ先輩から仕事のやり方や仕事に対する心構えを叩きこまれたことが脈々と生きています。

仕事に対するスタンスとして、今に至る一番大事な財産となっています。

転職した数々の会社でやってきたことも生きています。

良いことも「クソっ」と思うことも山ほどありましたし、今も色々日々起こります。

でも、みんな経験の蓄積となり、糧になっています。


今年は世界規模の物凄い転機の年となりました。

自分はあまり動くこともない、可能な限り静かに過ごす年となりそうです。

それも蓄積になっていますし、糧になっていくことでしょう。


続く毎日。

挑戦することもあるでしょうし、変化もあるでしょう。

「無」も必ずあるはずです。

みんな糧です。

役に立っているのかいないのか。

そんなことを考えなくても、必ず糧になっています。


ある日、気付きます。

腸が超痛かった日々が、最大の糧になっていたことに。









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