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その人の可能性が十分に発揮されていれば、人は勝手に学んで育つ説

わたくしごとですが、cotreeでインターンして約1年が経ちました。そして来年の4月には就職が決まっているので、そろそろ終わりも見えてきました。

cotreeでのインターン期間を振り返ると、すごく「育ててもらった」感覚があります。そして同じ感覚を同じインターンのさのくんも感じているそうです。

これ、実はすごいことだと思っていて。

なぜなら、ぼくもさのくんも、成長することがインターンの目的だったわけではないし、cotreeのメンバーから分かりやすく「成長の機会」「負荷」みたいな仕事や言葉をもらったことも、ほとんどないです。

じゃあどうして、ぼくたちはこんなに「育ててもらった」と思えているのか。

cotreeでの環境や文化を手がかりにしながら、「学ぶ」「育つ」ために大切なことを考えてみます。

cotreeでは、成長が目的になったことは一度もなかった

先程も書きましたが、大前提として、cotreeの中でわかりやすく「成長の機会だよ」という形で何かの機会を与えられたことも、「今後のための負荷」みたいなタスクを与えられたこともありません。

育ててもらった感覚は強くあるものの、「成長」「学び」が目的になった機会や言葉をもらったことは殆どないのです。

ぼくは学生時代、教育系のNPOに長く関わっていたのですが、そこでの論理と大きく違うことだなと感じます。

教育の論理では、「相手の成長」が目的になることが多い。一番大きなテーマは、「相手が育つ」ためには、どんな機会や言葉を、どうやって届けたらいいのか、ということでした。

教育の論理と比べて考えたとき、cotreeでは「ぼくたちが勝手に育つ環境を整えてもらった」という表現が正しいように思えます。

ではどうして、ぼくはcotreeで「勝手に育つ」ことができたのでしょうか。

ヴィゴツキーの「発達の最近接領域」という考え方

この手がかりになるのが、ヴィゴツキーという心理学者が提唱した、発達の再近接領域という考え方です。

noteのやつ

発達の最近接領域とは、「自分ではできないけど、誰か(何か)の支援があればできる」という領域のこと。

例えば、料理で例えてみるとこんな感じ。

ひとりでできる:野菜を切る
支援があればできる:クックパッドを見ながらなら、カレーを作れる(=発達の最近接領域)
できない:段取りよくコース料理を作る

そしてこの発達の最近接領域を達成していくことで人は学習する、とヴィゴツキーは唱えています。

上記の例えでいくと、「クックパッドを見ながらカレーを作る」を達成することで、カレーをひとりで作れるようになる、カレーの作り方を学習する、というイメージ。

言われてみると「それはそう」みたいな感じもありますが、シンプルながらも要点を捉えた理論です。

発達の最近接領域を達成するために必要な3つの条件

では、人が学習する(=発達の最近接領域を達成する)ために必要なものはなんでしょうか。

個人的に、以下の3つの条件が大切だと感じています。(これはヴィゴツキーが言っていることではなくぼくが考えたこと。ヴィゴツキーも何か言ってたら知りたい。)

1.発達の最近接領域に挑戦する機会があること

まず「支援があればできる」類の領域に挑戦する機会があることが大事です。挑戦のハードルの高さが適切である必要もありますね。

2.必要な支援が得られること

あくまでこれは「支援があれば」できる、という領域なので、支援を要請できること・それに応じて必要な支援が得られる環境も大事。

3.その人の可能性が十分に発揮されていること(できることが十分にできていること)

大前提として、「ひとりでできる」領域が十分に広がり切っていて初めて、「支援があればできる」に挑戦することができます。

本当は「ひとりでできる」領域のことなのに、環境による制限や心身の不調によって「支援があればできる」「できない」領域になってしまう場合って、結構多い。仮に支援を得て、それが達成できたとしても、元々「ひとりでできる」領域なので、学習できる要素は少なくなってしまいます。

そして、この3つ目の条件が見過ごされているケースが多い気がするんです。

3つの条件、cotreeの事例で考えてみた

この3つの条件を、cotreeの事例で考えてみます。

まず、挑戦する機会は、たくさんあります

cotreeはまだまだ規模も小さいベンチャー企業なので、会社としてやるべき・やりたいことはたくさんあります。やりたいことリストは永遠に尽きません。笑

そしてインターン・社員・アンバサダーといった立場に関係なく、やりたいと手を上げたら任せてもらえる環境です。

そして、支援を得られる環境もあります。測ったことないけどcotreeは心理的安全性がかなり高い組織な気がしています。

その一端は、cotreeのslackにも現れているかなと。以前書いた記事にまとまっています。

最後に、一人一人が十分に可能性を発揮することも、cotreeではすごく大切にされています。

ここを少し詳しく説明していきますね。

cotreeでの一人一人が十分に可能性を発揮できる場づくり

COOのひらやまさんは、「今のメンバーは素晴らしいから、みんなが十分に力を発揮すれば絶対うまくいく」と、折に触れて言葉にして伝えてくれるんですね。

この言葉はとても力強くて、やる気と元気と勇気が湧いてきます。

具体的な施策としても、

▷モヤモヤしてるとTwitterやslackで呟いたら「話す?」と言ってくれる
▷社内コーチングを始めて、個人の意思も組織の全体性も尊重してくれる
▷ひらやまさんが「なんでも相談タイム」を作って、みんなが仕事を進める上での困りごとを相談しやすくしてくれている

こんな風に、みんながどうしたら働きやすいか、十分に力を発揮できるかを大切にしながらチーム作り、環境作りをしています。

実はこれ、カウンセリングが前提としている人間観とも繋がる部分があるように思うんでる。

人間には有機体として自己実現する力が自然に備わっている。有機体としての成長と可能性の実現を行うのは、人間そのものの性質であり、本能である。カウンセリングの使命は、この成長と可能性の実現を促す環境をつくることにある。
カール・ロジャーズwikipediaより

手法のみが注目されることが多いですが、この姿勢こそがカウンセリングにおける一番の価値なのかもなあ、と個人的には思います。

可能性が十分発揮できることから生まれる、学習のサイクル

こんな風に、cotreeでは一人一人の可能性が十分に発揮されることをすごく大切にしています。

そして自分の力が十分に発揮できていると感じられる環境に対しては、自然と愛着が湧き、貢献したいと思い、エンゲージメントも高まっているように思えます。

「もっとチームに貢献したい」
「新しいことに挑戦してみたい」
「できることを増やしたい」

そんな状態になると、やりたいこともどんどん出てくるようになり、そこかしこに散らばっている挑戦の機会を、どんどん自分から取りに行くようになる。

自分で獲得した挑戦の機会なので、それが仮に「支援があればできる」という領域で、心理的安全性が担保されている環境にいるならば、支援をもらいながらその機会を達成しようとします。

その結果、「ひとりでできる」領域が広がって、学習する。そして更なる「支援があればできる」領域に挑戦する。

cotreeではそんな学習のサイクルが回っています。

このサイクルにおいて重要なことは、「可能性が十分に発揮されている」という状態を作ることで、学習者が勝手にサイクルを回し、自然とそこに学習が起こっていること

これがcotreeで起こっていた、「勝手に育つ」の内実なのではないかと考えています。

可能性が発揮できていると、シンプルに楽しい

「学習」「育つ」という観点で、「可能性が十分に発揮できること」の大切さについて書いてきましたが、自分の可能性がフルに発揮できている状態はシンプルに楽しくハッピーだなと感じています。

学習することと、日々を楽しくハッピーに生きることは、両立しうるのです。

「可能性を最大化すること」大切さを学んだからこそ、これから過ごす環境でも、誰かの可能性を最大化できるような関わりをしたい、と強く感じました。

参考にした本

写真は、スペイン・コルドバで見つけた、オレンジの木。すくすく育つ土壌を整えれば、勝手に木は育って実はできるのです。

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