アメリカ生活を終えて帰国。噛みしめる6つの幸せ。
2年弱のアメリカ生活を終えて、日本に帰国した。
つい1ヶ月半前まで確かにあったアメリカでの日常は日に日に遠くなっていく。記憶をたどろうとすると、夢の中の出来事のように、フィルターがかかった頼りない光景に変わっていく。今の環境に脳が適応しようとしているのか。
英語クラスの先生だった、厳しくも知的なアメリカ女性のバーバラに、「アメリカ生活を豊かにしてくれてありがとう。ここでの思い出が、時間の経過とともに、曖昧になっていくのが寂しい」とメールしたのが12月なかば。もはやすっかり遠い世界になってしまい、寂しいという感覚さえどこかに消えてしまった。
アメリカ生活は大変なことも多かったけれど貴重だった。趣きのある街並みや美術館は見応えがあったし、ちょっと郊外に行けば手つかずの自然のなかで青鷺や七面鳥などの野生動物を目にすることもできた。アメリカ人のユーモアや正義感に何度となく救われたし、多様な文化の価値観に触れるなかで、たくさんの新たな発見があった。
でも母国での暮らしが、しっくりくる。日本での暮らしを取り戻しながら、何気ない瞬間にささやかな幸せをかみしめている。日本で当たり前のように受け取ってきたことが、帰国直後の今では二倍にも三倍にも鮮やかに映る。日本を離れていたからこそ感じられる小さな幸せを書き留めておきたい。
1. 半熟卵をいつでも楽しめることがシンプルに嬉しい。
アメリカでは卵を生で食べるための殺菌処理がされていない。そのためいつも卵は固焼きだった。「多少の半熟なら大丈夫では?」と思って試したが、案の定お腹を壊した。それ以降、無駄な抵抗はやめた。
日本では鶏卵場の卵を、鶏卵洗卵選別包装施設(GPセンター)という施設で洗浄、乾燥、紫外線殺菌し、検知器でひとつひとつ異常をチェックしてから出荷しているらしい。生でも卵を食べられるよう徹底した衛生管理や検査体制が敷かれている。
だから今は、ふわふわのオムライス、とろとろの親子丼を、食べたいときに気兼ねなく頂ける。先日はドライカレーに温泉卵をそえた。夫はTKG頻発中。我が家の半熟卵&生卵ブームはさく裂している。
2. 夜道を歩いて、梅の花の香りだって楽しめちゃうことが嬉しい。
私の住んでいたボストンエリアは比較的安全だと言われていた。それでも銃発砲のニュースは月1回くらいは耳にしていたし、時には重症者も出ていた。
毎日のように利用していた地下鉄の車内では、昨年3回ほどアジア系ヘイトクライムが起きていた。電車の窓ガラスが叩き割られるという顛末を迎えたときは、日本領事館から注意喚起のメールが届いた。
そういう事件の大半は夜間に発生していたから、夜の外出はほとんどしなかった。それで困るようなこともなかったのでストレスは感じなかった。やむを得ず夜道を歩くときは、神経を尖らせて高速で歩かなければならないので、出来る限り避けたかった。
そして今、過剰な不安をかかえず夜道を歩ける解放感を堪能している。近所の家の梅の花が優雅な香りを放っていて、夜なのに春の訪れを感じられる。しみじみとした幸せを噛みしめる瞬間だ。
3. 小学生の息子が外を満喫できるのが嬉しい。
アメリカでは一般的に子供を一人にすることは法的に許されない。親の育児放棄とみなされ通報されることもある。州のルールによって異なるけれど(マサチューセッツ州では特定の年齢は定められていないが)、だいたいティーンエージャーに達しない13歳未満の子供を、自宅・車内・屋外にかかわらず一人にしてはいけないという暗黙のルールがある。
そもそも、誘拐が怖くて子供を一人にできなかった。ボストンコモンという緑豊かな人気の公園(新宿御苑とか代々木公園みたいな公園)があるのだけど、公園のど真ん中に、指名手配中の小児誘拐犯の顔写真が20枚くらいズラリと掲示されていて震えた。Youtubeでアメリカの子供の誘拐の動画を見たことがあるけれど、マッチョな大男が有無を言わさずひょいと抱きかかえて車に連れ込んでしまう。日本の「いかのおすし」戦法では太刀打ちできない。
息子の小学校でも、お昼休み中に学校の外から手招きする中年男性についていきかけた女の子がいて、間一髪気付いた先生が大声をあげて止めたらしい。その女の子は学校の職員かと思って近づいていったそうだ。何事もなくて良かった。
だからアメリカでは、ずっと子供に付き添っていた。学校はスクールバスだったので送迎はバス停までだけど、習い事に行くときも、友達の家へ遊びに行くときも。公園で遊んでいるときもずっと付き添っていた。
帰国後、子供だけの登下校、ちょっとしたお使い、この開放感をいま親子で楽しんでいる。
4. 電車が正確にやってきて、移動中には仮眠さえ取れるのが嬉しい。
ボストンエリアは地下鉄が充実しているので、よく利用していた。しかしまぁ、よく遅れる、そしてよく止まる。公共交通機関を管理するマサチューセッツ湾交通局(MBTA)は慢性的な赤字が続いているため、経年劣化で摩耗した線路のメンテナンスを何十年もしていないという。このため運行スピードに制限をかけることで安全を確保するという。
遅延は当たり前、いきなり停まって30分動かなくなったり、時には突然運行休止になって乗客が放り出されることもあった。走行音もかなり大きいので(これは何が原因か分からない。車両もかなり老朽化していたので、それも原因かもしれない)、隣りの人とお喋りをしたければ、耳元で相当声を張る必要があった。
駅の老朽化も進んでいて、ハーバード駅では天井のコンクリートが崩落している動画がニュースで流されていた。これが世界トップクラスの先進国?と目を疑う。軍事費にお金を使いすぎて、国内インフラに充てる費用が不足していると推測するしかない。
ちなみに車内ではまた別の注意が必要だった。私は被害に遭ったことはなかったが、知人の日本人女性は脇に置いていたエコバッグをいきなり奪われたそうだ。とっさに追いかけたが、盗んだ男性は薬物中毒でハイになっていたのか、高笑いしながら逃げたという。幸いエコバッグの中はスーパーで買った魚だけだったので良かったが、彼女はそれがトラウマになり、一人で電車に乗るのが怖くなったと、車の運転免許を取っていた。
安全で静かな日本の電車はあまりに快適で、先日久しぶりに移動中10分ほど寝落ちしてしまった。目的駅についた時のすっきりした目覚めが新鮮だった。
5. 外出中にトイレの心配をしなくてよいのが嬉しい。
アメリカは公共トイレが本当に少ない。犯罪防止のために設けないようだが、子連れにとっては結構深刻な悩み。子供に「トイレ・・」と突然言われ30分ほどトイレ探しにさまよったこともある。
少し広めの公園、スタバなどのカフェやファーストフード店でも公共トイレを設置していないところがあるので注意が必要だ。私達はTarget(ターゲット)という大手小売チェーンとWhole Foods Market(ホールフーズ)が各店舗に公共トイレを設置していることに途中から気付き、外出時には必ず立ち寄っていた。
ちなみにアメリカには「ウォシュレット」は皆無だった。一度だけ見つけたのがイザベラ・スチュワート・ガードナー美術館内のトイレ。さすが美意識の高い美術館、トイレも群を抜いて美しく、まるでサロンのようだった。便器にTOTOのロゴを目にしたときは、旧知の友に会えたかのようなテンションの高まりだった。
帰国後、隅々まできれいに清掃されたトイレ、床部分までプライベートが確保された個室の扉、その空間で温かい便座に座ると妙にほっとする。
6. 湯舟に肩までつかれるのが嬉しい。
アメリカにも大きな浴槽はあった。最初は「これならお湯を張ってつかれるね」と子供達と話していた。
ところがいざ試してみると、お湯を張っても肩が十分につからない。浴槽が浅いのだろう。浴槽の底面に背中を沿わせて身体を沈めれば、かろうじてお湯の中に背中は入るが、脚は出てしまう。これじゃ全然リラックスできない。
そしてお湯がすぐにぬるくなる。私のアパートの浴槽の問題なのかもしれないが、お湯の冷えるスピードが速い。当然のことながら追い炊きなんて機能もなく、ぬるま湯に死体のように身体を沈めていると、だんだん不快感すらわきあがってきて、あきらめた。慣れればシャワーでも問題はない。
帰国した今は毎日のように湯舟につかっている。一日の終わりにじんわりとあたたまるあの感覚。何物にも代え難い寛ぎタイムだ。
********
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?