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【歴史概要114】オランダ独立戦争・ユトレヒト同盟・アムステルダム

①オランダ独立戦争は新教徒であるゴイセンが
カトリック国であるスペイン支配から独立した戦争であった。

②百年戦争の英仏の領土問題は一先ず解決したが次は神聖ローマ帝国とフランスの境界地帯の領有が問題となった。

③百年戦争後はブルゴーニュ公がネーデルラント(オランダ・ベルギー)を領有していた。

④1477年にここの公家が断絶したのでマクシミリアン1世
(後の神聖ローマ皇帝)はブルゴーニュ公の娘マリアと結婚した。
これによりブルゴーニュ公の領地をすべて領有する事となった。

⑤マクシミリアン1世の孫であるカール5世はスペインと新大陸のスペイン領を支配していた。カール5世と息子フェリペ2世の時代は新教徒地域への圧迫を強めた。

⑥カール5世の引退後にハプスブルク家はオーストリア系とスペイン系に分裂した。ネーデルラントはフェリペ2世の統治するスペイン領となった。

⑦フェリペ2世はアルバ公を派遣してカトリック強制策を実行していった。これにネーデルラント17州は協力抵抗した。こうして1568年から独立戦争が始まった。

⑧カトリックの多い南部の10州(=ベルギー)は離脱したが北部7州は1579年にユトレヒト同盟を結成して1581年にフェリペ2世の統治を拒否する宣言を行った。

⑨1588年にアルマダの海戦でスペインはイギリスに敗北した。両国ともに財政悪化で戦争継続が困難となり1609年に休戦協定をした。

⑩1621年にオランダは三十年戦争に巻き込まれスペインと再度戦う事となった。

⑪ネーデルラント地方は経済活動が盛んであったので独立後はさらに繁栄していった。宗教情勢から多くの迫害者がオランダに亡命した。

⑫1602年にオランダ東インド会社を設立し1609年にアムステルダム銀行が設立された。

17世紀はオランダが世界経済の覇権を握っていった。

⑬1651年にイングランド議会はオランダ貿易を狙った航海法を出した。両国は3度戦った。次第にイングランド優位になっていく。

⑭オランダは共和政を採用した。自由主義傾向と経済繁栄によりアムステルダムは主要都市として発展していった。

■参考文献
『30の戦いからよむ日本史 上』 関 真興 日本経済新聞出版社

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