【歴史22】ベトナム史備忘録21(交易時代・中国交易・ヨーロッパ交易・東インド会社・ゾンホ)
ベトナム史の学習内容を深めていきます。
①アジアの国際交易は15世紀半ばから成長していた。鄭阮戦争の頃には期限を迎えていた。東南アジアの歴史研究家のアンソニーリードはこの時代を交易の時代と呼んでいる。
②16世紀の初頭まで海禁政策をとっていたので明の染付陶磁の輸出量が激減した。ベトナム北部で染付陶磁の代用品がつくられてアジア各地に輸出されるようになった。
③世界的に銀の流通が増えて密貿易が横行するようになった16世紀半ばに明が海禁を緩和して中国貿易が活発となった。
中国の商人と日本の商人は豊臣秀吉の朝鮮出兵の影響で東南アジアを中継地とした。
④ベトナムにも日本から貴金属や工芸品を積んだ船が数多く来航して絹や生糸などを買い付けに来るようになった。北部のフォーヒエンや中部のホイアンに多くの日本人商人が訪れてホイアンには大きな日本人町ができた。
⑤ヨーロッパとの交易も盛んとなった。早くからアジアに拠点を置いていたポルトガルは中部の阮氏と関係をもった。阮氏はポルトガル人から武器を輸出したり技術顧問として雇った。火器は鄭氏との戦で使われた。
⑥1630年代後半に江戸幕府の鎖国政策でベトナムに朱印船が来なくなってオランダ東インド会社が進出してきた。オランダ東インド会社は阮氏と鄭氏と交渉して両方から商館設置を許可されたが日本向けの商品の買い付けに有利だった鄭氏と関係を深めた。
⑦阮氏と鄭氏の政権は別の国という認識でありコーチシナ、トンキンと呼ばれていた。北部は17世紀には陶磁器と絹などの手工業生産を武器に国際交易に参入した。物量拠点であった昇竜などの都市が発展して手工業を営む村落が増加した。
⑧紅河デルタの村落では儒教を学んだ科挙の地方試験合格者や官僚を辞めた人々が村の長老とともに行政を担当していた。
儒教の知識をもつ人が村落リーダーとなることで長幼の序が定着していった。
⑨こうしてゾンホとよばれる血縁集団が形成されて地縁と血縁が組み合わさった村落共同体ができた。
交易で経済が豊かになりチェオや水上人形劇などの伝統芸能が発展して各地で上演されるようになった。
■参考文献 『1冊でわかるベトナム史』岡田 雅志 河出書房新社
いいなと思ったら応援しよう!
学習教材(数百円)に使います。