見出し画像

【日本史8】平安史備忘録9(嵯峨天皇の政治)

平安時代の学習を深めていきます。

本日の学習は、

①嵯峨天皇の政治改革で令外官(りょうげのかん)が設けられた。
律令で定められていない官職や官庁の事である。
天皇が代替わりすると令外官は新たに任命される事になった。

②征夷大将軍、勘解由使、内大臣、中納言、参議は令外官である。嵯峨天皇は蔵人と検非違使を令外官として設置した。

③嵯峨天皇は法の整備もした。820年(弘仁11年)に客(補足・修正法令)や式(細かい規則)に分類された『弘仁格式』が成立した。後には清和天皇(56代目)は『貞観格式』、醍醐天皇(60代目)が『延喜格式』を編纂した。これが三大格式である。

④地位や出世に影響する諸氏族の系譜をまとめた『新撰姓氏録』
と宮中の儀式をまとめた『内裏式』(だいりしき)の編纂を命じた。

⑤また実務に長けた文人を官人に登用して審議場を内裏の
清涼殿に移して親政環境にした。

⑥嵯峨天皇には皇后だけでなく20人を超える妃(妻)と50人以上の皇子や皇女がいた。

母親の身分が低い32名に源朝臣(あそん)という姓を与えて皇族身分から外して臣下とした。これが臣籍降下である。

⑦皇族でなくなかった嵯峨天皇の元皇子や元皇女は嵯峨源氏と云われた。公卿として朝廷で勢力を形成していった。

⑧823年(弘仁14年)に嵯峨天皇は異母弟の大伴親王に皇位を譲って自身の子の正良親王を皇太子とした。新しく即位した淳和天皇(53代目)と嵯峨太政天皇との関係は良好であった。

⑨淳和天皇は太政天皇と皇太后を父母とする正子内親王を皇后とした。833年(天長10年)に譲位して正良親王が仁明天皇(54代目)として即位した。嵯峨太政天皇は政治に介入しなかった。

■参考文献 『1冊でわかる平安時代』 大石学 河出書房新社

この記事が参加している募集

学習教材(数百円)に使います。