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【歴史概要91】百年戦争勃発・クレシーの戦い・ポアティエの戦い

①フランドル問題はフィリップ4世の時代から重要懸案になっていた。フィリップ4世が教会領への課税を強行したのはフランドルを抑えるための戦争費用の捻出であった。

②フィリップ4世はフランドルの併合に成功したが、フランドルの諸都市がこれに反抗したので独立を認めた。ヴァロア朝の新王であるフィリップ6世もフランドルの市民を抑えたのでイングランドへの期待は高まった。

③スコットランド問題でもフィリップ6世は1337年にギュイエンヌを強引に併合した。イングランドのエドワード3世はフィリップ6世への忠誠を撤回する。本来の王位継承者は自分であるとエドワード3世はヴァロワ朝と対立した。

④エドワード3世は1336年にフランドルへの羊毛の輸出を禁止する措置をとった。フランドル市民はその原因を作ったフランス王を恨み反フランス感情を高めた。

1338年にエドワード3世は大陸に渡ったがイングランド国庫は窮乏して戦争を仕掛けられなかった。

⑤フランスはジェノヴァの艦隊を雇いイングランドの拠点を攻撃したが大きな成果はなかった。

エドワード3世は1339年にフランスとの決戦を挑んだがフィリップ6世はこれを回避し一時休戦となった。

⑥1340年にイングランドは巻き返しに出てブーローニュでフランス艦隊を撃破した。フランドルのスロイス海戦でフランス側は敗北しフランスの海上権は崩壊した。

ドーバー海峡の制海権はイングランドが握ったためフランス軍のイングランド侵攻は不可能になった。

⑦1341年にはブルターニュ半島で戦争が起き両国を巻き込んだ。ここはケルト系のブリトン人の居住地であるがここで起きた王位継承問題に両国も介入することとなり戦闘が本格化した。

⑧1346年となりエドワード3世がノルマンディーに上陸して略奪を行いながらパリに迫った。

フィリップ6世が反撃したのでエドワード3世は一旦軍隊を引いてカレー南方のクレシーで迎撃の準備をして待っていた。

⑨この戦闘はイングランド軍のロングボウ(長弓)とフランス軍のクロスボウ(弩)の対決であった。射程の長さと速射性に優れたロングボウが有利であった。イングランド軍が勝利した。以後もイングランド側が優勢であった。

⑩フィリップ6世は敗戦とペスト(黒死病)の流行で国内が混乱するなかで1350年に亡くなった。後任はジャン2世が即位した。

⑪クレシーの戦いの行われた1347年から1348年にかけてイングランド軍は上陸拠点確保のためにカレーを攻撃した。カレー市民は抵抗をしたが降伏した。

⑫百年戦争の初期はエドワード3世の長男であるエドワード黒太子
が活躍した。1356年のポアティエの戦いでの用兵が有名である。
数の上では劣勢であったイングランド軍を勝利に導き、ジャン2世を捕虜にした。ジャン2世はロンドンに移送された。

⑬ジャン2世はエドワード黒太子に厚遇された。1364年にその地で亡くなった。

⑭1360年にプレティニー・カレー条約でイングランドがギュイエンヌを確保する事やフランスが捕虜になったジャン2世の身代金を支払う事などが約束されて両国関係は休戦となった。

⑮1340年代の半ばからペスト(黒死病)がヨーロッパを襲った。中央アジアから黒海を経由して北イタリアに運ばれた毛皮についてきたとされるノミの媒介が原因とされている。1347年から1348年の間にヨーロッパの人口の1/3以上が犠牲になった。

⑯ボッカチオの『デカメロン』はこのペストの流行を背景に描かれている。この頃のイタリアで外国船の乗組員が船にとどまる日数を40日した事がquarantine(検疫)の語源となった。

■参考文献
『30の戦いからよむ日本史 上』 関 真興 日本経済新聞出版社

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