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多様性や人それぞれという考えは害悪だ

「この世界には色々な人が住んでおり、様々な価値観がある。」というのは同意するし、その通りである。

しかし私は「多様性が大事だ。お互い尊重しましょう。」とは言わない。

そしてそんな立場や価値観など結局この世界に何の利益ももたらさない。

それは寛容の成れの果てが不寛容の許容であるという事とその多様尊重には因襲や権威尊重が孕んでいる事が明白だからだ。

自分で差別をまき散らしているのに自分が非難されると「日本人差別ガー」と云うネトウヨは多様性に含まれなくていい。こんな奴は社会のゴミでいいのである。

権力勾配の下層を攻撃するのは社会悪となるが、権力に付随した害悪な連中の存在を全否定することこそ社会善となるのだ。

多様性が大事なのではなく、「非寛容を非難することで寛容を維持する事」が大事だ。だからリベラル的価値観は必ず権威主義に癒着する事を踏まえて警戒する必要がある。

また多様尊重のなかに必ず家父長主義、上意下達、夫婦相和しなど社会を歪める因襲マインドが入っている事が多分にある。

こんなものを「人それぞれ色んな価値観があっていいよね。」といって尊重するのは社会悪でしかない。これに対して罵詈雑言を浴びせてアンチ活動をする人々の方がよほど社会の役に立っていると言える。

多様尊重が大事なのではなく「公的性や公正性を歪めるものは蔑視する」のが大事だ。

多様性というのはあくまでも維持されている状態でしかない。

そのためには権力に付随した害悪な連中の存在を全否定し続けなくてはいけない。それが従来の社会性であり、近現代人の営みである。

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