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【歴史概要17】セルジューク朝の話

①11世紀になると東方のセルジューク朝がバグダードに入城する。アッバース家(当時のイスラーム権威)はセルジューク朝の君主にスルターンという新称号を与えた。カリフ(ムハンマドの後継者)は世俗的な権威はほとんどなくなっていた。

②ビザンツ皇帝のロマヌス4世は即位すると小アジア地方の回復を
目的に6万の軍団とともにセルジューク朝へ進軍した。

2代目スルターンであるアルプ・アルスラーンはエジプトのファーティマ朝(シーア・イスマイール派)との戦いを準備していたのでビザンツに和平を提案したが決裂した。

③1071年のマラーズギルド(マンジケルト)の戦いでセルジューク朝が勝利した。ロマヌス4世は捕虜となったが、解放後にローマ教皇にサポートを要請した。

④3代目のスルターンであるマリク・シャー政権ではイラン人宰相ニザーム・アルムルクの指導により全盛期となった。しかしアルムルクは暗殺教団によって暗殺された。続いてマリク・シャーも亡くなると後継者争いが深刻化していった。

⑤同時期にセルジューク朝はファーティマ朝からエルサレムを奪還した。そのため1096年から始まった十字軍の攻撃を受けることとなった。この流れでセルジューク朝は衰退していく事になる。

⑥十字軍運動は、カリフの権威が衰退し、イスラーム勢力同士が小競り合いをするなかで始まったものだったのでムスリムたちは状況判断できないままに巻き込まれていったものだと云える。

■参考文献
『30の戦いからよむ世界史 上』 関 眞興 日本経済新聞出版社

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