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【歴史概要120】スチュアート朝・王権神授説・権利の請願・清教徒革命

①エリザベスは結婚せず継承者がいなかった。
テューダー朝は断絶してスチュアート朝に移行した。

②姻戚関係のあったスコットランドの国王のスチュアート家のジェームズ6世が後を継ぎ1603年にジェームズ1世として即位した。

イングランドとスコットランドは主権は別だが同君連合となった。

③ジェームズ1世は王権神授説を用いてカトリックを強制した。穏健であったジェームズが強権政策をしたのはイングランドにはジェームズの支持勢力が少なかったからと云われている。

④イングランドではカルヴァン派が農民や商工業者に広がっていった。ジェームズ1世に対する不満は高まっていった。

ピルグリム・ファーザーズがアメリカ大陸に移民するのはこの時期である。

⑤ジェームズ1世が亡くなりチャールズ1世が即位した。専制政治を持続した。イングランド議会は1628年に権利の請願を国王に表明した。

⑥議会の同意なしでの課税禁止、恣意的な逮捕、投獄をしない事を認めさせた。チャールズ1世は以後11年間議会を開かず専制政治を持続した。1640年4月にスコットランドで内乱がおきて課税の為に議会を開かざるをえなくなった。

⑦この議会は3週間で閉鎖した短期議会であった。次に11月に行われた議会は1653年にオリバー・クロムウェルが閉鎖するまで続いた長期議会であった。

⑧1641年には国王権力の柱であった星室庁が廃止された。

カトリック教徒の多いアイルランドでイングランドに対する反乱が起きた。そして国王専制政治を列挙した大抗議書が議会に提出され偏差で可決された。

⑨国王は改革派の議員の逮捕を試みたが失敗した。イングランドは国王派と議会派に分かれて内乱に突入した。

⑩最初は貴族やジェントリーを中心とした国王派は優勢であったが新興商人や手工業者、労働者や農民などが中心になった議会派が巻き返した。クロムウェルは鉄騎隊を駆使してマーストン・ムーアの戦いに勝利した。

⑪新型軍を組織してネーズビーの戦いで勝利を収めた。1649年にはチャールズ1世を処刑して共和政を樹立した。これが清教徒革命である。

⑫議会派の内部は長老派・独立派・水平派(平等派)の3勢力の対立が激化していった。長老派は立憲君主制を目指す穏健派、独立派は共和制で有産市民を中心にした制限選挙を主張した。

⑬水平派(平等派)は共和政を目指し主権在民の実現を主張した。独立派と水平派(平等派)は1647年以来パトニで話し合いをしていた。長老派や国王派の巻き返しに歩み寄り1648年には長老派を議会から追放した。

■参考文献
『30の戦いからよむ世界史 上』 関 真興 日本経済新聞出版社

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