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【歴史19】エジプト史備忘録8(新首都イチタウイ・農地開拓・装身具)

エジプト史の学習内容を深めていきます。

①アメンエムハト1世は王宮で暗殺された。息子のセンウセレト1世はイチタウイに戻って王位を継承した。『アメンエムハト1世』という文学では暗殺の様子が描かれている。

②地方の支配を強めるためにセンウセレト1世は首都や宗教の中心地のみならずエジプト上で神殿を建造・改修した。地方神殿は地方の管轄下から中央政府の支配下に置かれた。

③新首都イチタウイはモノづくりの中心地として発展した。ここで造られた土器はエジプト各地に広がった。

④アメンエムハト1世とセンウセレト1世はリビアや西アジア方面、ヌビアへと遠征して国境に要塞を築いた。

支配領域が広がりエジプトでは希少であった岩石や穀物を安定して獲得するようになった。

⑤センウセレト1世の次は息子のアメンエムハト2世が王位を継承した。ダハシュールにピラミッドが建造された。

⑥イチラウイの近くに砂漠のオアシスであるファイユームがあった。アメンエムハト2世から王位を継承したセンウセレト2世はこの地で大規模な干拓事業を始めた。ファイユームは豊穣な農地として経済を支えていった。

⑦この時代は西アジアとの活発な交易が行われて軍事遠征の記録は確認されていない。平和と繁栄の時代といわれている。

⑧ピラミッド複合体はファイユームの南東の外れであるラフーンに造営された。ピラミッド複合体の南端に娘のサトハトホルイウヌト皇女のシャフト墓があり装身具など煌びやかな副葬品が多く納められていた。

⑨中王国時代に精巧な装身具がつくられた。例えばサトハトホルイウヌト皇女の墓に納められた胸飾りやタカラガイ形ビーズを用いた腰飾りである。

⑩アメジストの利用は中王国時代の装身具の特徴である。メンチュヘテプ4世以降の王はアメジストの採石を続けてネックレスやアンクレット、さまざまな形の護符などが作られた。

⑪第1中間期から中王国時代12王朝中ごろまでの副葬品としては木製の模型がある。主に穀物倉やビール醸造所などにおける作業の様子が模型として作られて墓に納められた。

■参考文献
『1冊でわかるエジプト史』 山崎世理愛 五十嵐大介 河出書房新社

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