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自分が代替可能な存在である事を認めろ

「自分は特別な存在になりたい」「代替不能なスゴイビジネスパーソンになる」「神様に選ばれた選民になる」「勝ち組になりたい」というのは代替可能(=近代官僚制)基盤の逆転発想でありこの逆転発想がセクトの本質である。

つまり鼻っからありえない事を言っている釣り文句でありこんなものを真に受けなくていい。ましてや現実に則らないアイデアはかえって個々人を生きづらくさせてしまうと考えている。

大衆というのはどこかしら他人と横並びである事に喜びを感じながらもセクト的な選民優越感への願望が強かったりする。ゆえにこれが学校派閥、宗教派閥、投資派閥、恋愛派閥、啓発派閥を形成しネオリベやサブカル(記号論)がデコレーションを行う。

そこにまんまと引っかかった田舎セクト内向き集団がセクト大衆であり「個性的だぞー」「クリエーティブだぞー」「神に選ばれたんだぞー」「推しの〇〇さんに承認されたんだぞー」という凡庸大衆マインドとなるのである。

我々がこの近代官僚制に基づく現代社会で生きていくためには自分は「代替可能な存在でいいんだ。動ける時は動いて、動けない時は別の人にやってもらおう。」という緩やかなマインドにするのが良いと考える。

「自分は特別ではない。One of themである。代替可能な労働者で別にいい。神様は無条件で自分を容認している(プロテスタント)、競争で勝っても維持コストが多大に発生するよな」といった反セクト脳を形成し、現実に則って生きていく事が大事なのではないだろうか。

学習教材(数百円)に使います。