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【歴史概要118】ヴェルサイユ体制・ワシントン体制・国際連盟

①第1次世界大戦後の国際秩序はヴェルサイユ体制であった。世界史的なものではワシントン体制が並立する。戦勝国は国際規則から自由であったので戦後も軍備拡大をした。

②これを規制しようとアメリカ大統領のハーディング(29代目)が国際社会に呼びかけた。

③1921年~1922年にアメリカ、イギリス、フランス、オランダ、ベルギー、イタリア、ポルトガル、日本、中国の9カ国がワシントンに集まった。軍縮問題や極東・太平洋の諸問題を討議した。

④結果として参加国すべてが調印した9ヶ国条約では
中国の主権の尊重、領土の保全を確認した。

⑤アメリカ、イギリス、日本、フランス、イタリアの5ヶ国が
同意した5国条約では保有できる主力戦艦の総トン数の比率を
5:5:3:1.67:1.67とした。

⑥補助艦の問題は1930年のロンドン会議でアメリカ、イギリス、日本が10:10:7で保有する事が決まった。この時日本と中国で話し合いが行われてヴェルサイユ条約で日本が獲得した山東半島のドイツ権益が中国に返還された。

⑦この時期は相対的安定期である。1925年のロカルノ条約でドイツの国際連盟加盟が認められた。1928年にパリで不戦条約が結ばれてヨーロッパに平和と安定がもたらされた。1929年からはアメリカから始まった金融恐慌が世界上を混乱させる事となった。

⑧第1次世界大戦後の講和会議で初の常設国際平和機関として
国際連盟が設立された。

⑨ただ問題があった。設立メンバーのアメリカがモンロー主義の原則を主張する本国議会に反対で参加しなかった。敗戦国のドイツと社会主義国ソ連が当初参加を認められなかった。

⑩軍事的制裁力がなく経済制裁しか行使できなかった。総会決定が多数決ではなく全会一致という点も問題となった。

⑪小国家間の領土紛争などでは成果を挙げ、労働問題解決のための国際労働機関(ILO)や国家間の対立調停のための常設国際司法裁判所が設置された事は意義があった。

■参考文献
『30の戦いからよむ日本史 下』 関 真興 日本経済新聞出版社

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