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【歴史概要24】第2次インドシナ戦争・第3次インドシナ戦争・中越戦争

①1970年代に入るとヴェトナムの隣国のカンボジアが新しい問題の舞台となる。カンボジアは1953年に王国として独立を果たした。王政・仏教を主軸した王政社会主義国家を目指していた。

②ヴェトナムからの撤退の準備としてアメリカはカンボジアに親米政権の樹立をはかるため右派のロン・ノルをサポートした。ロン・ノルは1970年にクーデターで国王のシアヌークを解任した。クメール共和国を樹立しアメリカや南ヴェトナムと手を組んだ。

③シアヌークは北京に亡命した。そして左派勢力のクメール・ルージュと協力してゲリラ活動に入った。アメリカ側はこのゲリラと戦った。これが第2次インドシナ戦争である。

④親米派の南ヴェトナムが崩壊すると1975年にロン・ノル政権は崩壊しクメール・ルージュがプノンペンに入城した。1976年に民主カンプチアが成立しポル・ポトが権力を握った。

⑤アメリカ軍の空爆などを避けて農村から多くの難民がプノンペンなどの都市に流入していたのでポル・ポトは農民たちを農村に強制移住させた。

そして資本家、知識人、都市居住者、反政府派などを大量粛清していった。概ね70万人から300万人の人民が虐殺された。

⑥ヴェトナムは米中接近の後にソ連との関係を強化した。1977年にヴェトナムに危機感を抱いていたカンボジアはヴェトナムに侵攻した。1979年にヴェトナム軍はプノンペンを攻略し民主カンプチアは崩壊した。

⑦ポル・ポトとその一派はタイ国境方面に移った。これにより民主カンプチアに代わりカンボジア人民共和国が成立した。親ヴェトナムのヘン・サムリンが君臨する事となった。

⑧これにポル・ポト派やシアヌーク派やソン・サン派(旧ロン・ノル派閥)の反ヴェトナム3派は執拗な抵抗を行った。

これが中越戦争である。中国は友好国カンボジアの政権を崩壊させたという名目でヴェトナムに侵攻したがヴェトナム側はソ連からの軍事援助とアメリカ軍の残した武器で中国を圧倒した。
中国は軍隊の近代化を模索し始める事となった。

⑨この中越戦争を含めて1975年以降の反ヘン・サムリン政権とヴェトナムの戦争を第3次インドシナ戦争と呼ぶ。

⑩第3次インドシナ戦争の転機は1986年から近代化政策であるドイモイを始めたヴェトナムが方針を改めカンボジアから撤退を始めた事に起因する。パリで話し合いが行われ1991年に4者は和平に向けて最終合意に調印した。

■参考文献
『30の戦いからよむ世界史 下』 関 眞興 日本経済新聞出版社

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