アーティキュレーションは弦楽器を参考にする
管楽器におけるアーティキュレーション(スラーやスタッカート、テヌートなどの記号によって音符やメロディのニュアンスを変えること、その記号)は、口の中の動きや、目に見えない空気をコントロールすることで様々な表現をするために、とてもイメージがしにくいのです。
演奏している本人がどうやってそれらを表現しているかを把握することがそもそも難しいですし、それをレッスンで具体的に伝えることはもっと難しい。
特に楽器を始めて数年の方は、タンギングやブレスコントロール(空気圧コントロール)などの技術的な側面で解決しなければならないことも多く、頭の中にイメージがあったとしても、それを実現することに苦労します。
その後、少しずつ表現力が身についてきた時に陥りやすいのが、表現が自己完結してしまうことです。
「やってる自覚」だけではやっていないのと同じ
ずっと前の話ですが、部活指導の際、部員のひとりに「その音符にはスタッカートが付いているから、ベタっと演奏しないように、もう少し音を短めに」と伝えたところ、反抗期なのか僕が嫌いなのかわかりませんがすごい剣幕で「やってます!」と言われたことがありました。
確かに本人としてはやっているのかもしれません。やっているつもりなのにやっていないと言われて悔しかったのかもしれません。しかし、申し訳ないけれど「やってる自覚」だけでは演奏は成立しないのです。
アーティキュレーションも含め、演奏とは常に「聴く人へ伝える」姿勢でなければなりません。それは客席にいる人はもちろんですが、一緒に演奏している人、そして指揮者(指導者)に対してもです。
自分はスタッカートを表現しているのだ、とどれだけ主張しても、相手に伝わってなければそれはやっていないのと同じことなのです。
そもそもスタッカートは「音を短く」ではない?
例えばスタッカートという記号が音符についていた場合、単純に「音を短く」と解釈すると、どんな音価であっても、どんな場面でも全部短い音になることが多いのですが、それは違うと思います。
え?スタッカートは「音を短く切る」じゃないの?と思うかもしれません。確かに、傾向としては音が短くなるのかもしれませんが、この言葉には「離す」「距離をおく」という意味が込められています。
隣り合う音どうしがくっつかないように演奏すれば、確かに音を短くするしかありません。
しかし、スタッカートをただ短くするという自覚を持って音を短くしても何の意味もありません。その作品のその場面になぜスタッカートが書かれていたのかを考えること(作曲者目線)、そしてどのように演奏することが最もその作品が活きるのかをイメージすることが大切です。
ボールがポン,ポンと弾む感じなのか(そのボールの大きさ、硬さ、弾ませる強さなどでも大きく変化)、小さな妖精が花から花へ飛んでいるのか、雨粒がポタポタと垂れているのか、巨人がスキップしているのかなど、イメージの可能性は無限にあります。
そうした自由なイメージを奪っているのが義務教育用の音楽の教科書だと思っています。教科書には(僕が知っている範囲では)スタッカートを「音を短く切る」とか「書いてある音の半分の長さにする」など雑な表記になっていた記憶があります。中学校の時の音楽の先生も「音の長さを半分にしなさい」と言っていた記憶が残っています。違う違う。絶対違う。
そもそも僕は「音を短くする」などの表記が良くないと思うのです。なぜならこのように書いてしまうと「音を短くすれば良い」と自己完結しかねないからです。自分の中で「短く切ったぞ」で終わってしまう可能性が高く、聴く人にどう感じてもらいたいか、という方向性が失われてしまいます。これでは演奏者は勝手に演奏しているだけで聴く人がほったらかしです。
あれれ?何だか書いているうちに本当に書こうとしていものと違う内容になってしまった…。
話を戻します。管楽器はどうしてもタンギングや空気圧コントロールによってそうしたニュアンスを変化させることになり、それが全部口の中の出来事だったり、空気という見えないものなので、可視化できず、わかりづらいのです(と最初に書きました)。
そこで僕はよく「弦楽器をイメージしよう」と提案します。
弦楽器の便利なところは、管楽器では見えない演奏するためのコントロールがすべて目に見えるところです。弓と弦の関係やそのための体の使い方を見ると、スタッカートであっても弓が跳ねるような動きだったり、水平に動かしてピタッと止まる動きだったり、ピッツィカート(弦をはじく演奏)、ダウンとアップ(弓を使う方向)の違いだったり、それらを演奏するための手首や肩のアプローチなどすべてが非常に参考になります。
ですので、僕はレッスンなどでアーティキュレーションの表現イメージを具体的にするには、弦楽器の演奏をたくさん見てほしいと伝えています。楽譜を見ながら動画を何度も見ると、その奏者が楽譜に書かれている様々な記号をどのように解釈し、体で表現しているかがわかると思いますし、生で間近で聴くことで、それがどのような音になって聴こえてくるのかが理解できます。
スタッカートが「音を短く切る」だと思っていた方は、ぜひ弦楽器を中心に様々な素晴らしい奏者の演奏を聴いてみてください。
荻原明(おぎわらあきら)