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生活考

生活って何だろう。

字のままに認識すると、「生きるを活かす」だろうか。

では、「生きる」って何だろう…、「活かす」って何だろう…。

まず、「生きる」から。

①「生きる」

の内容

は、

1.食

2.教育-EDUCATIONAL

3.安全-SAFETY

そして、「生きる」舞台として、「地域」が挙げられると思う。

次に

②「地域」

には、

1.家庭

2.学校

3.社会
の三つを列挙することができるかと思うが、上記のものは、「COMMUNITY」という語で表せると思う。

1.食

主に家庭での「食育」が挙げられるかと。なんだかんだ言って、「子供」にとっては、各家庭での「母」の味がその人生での食の原体験の全てと思う。これは、決して大袈裟ではなく、その生育上のエピソードも含めて、「食」なのだ。

そうすると、食卓の内容の豪華さではなく、おそらく、その家庭での長らく拠りどころとなる「子供」の人生の成否で判断を左右されるのが多いだろう。

這い上がれる「子供」は押し付けでは育たないが、やはり、「優しい」社会が望まれることに変わりはない。

偉そうなことを言うようだが、それには、一つの一貫した共有の認識…正しい「経済観」を元にした、国、地域、社会の偏ることのない運営が必要で、歪みの少ない社会認識が必要なことは、今までの常識と思いたい。

その共通認識の上で、その社会に住まう各自の努力が要されるのだろう。

人間、やはり、「食」なのだ。

2.教育‐EDUCATIONAL

「教え教わり、育みあう」

その心は、優しくないとやっていけないから。人は、選ぶ。

3.安全‐SAFETY

安全が前提。

1.家庭

社会の最小単位。言うまでもなく。

2.学校

これは、私個人の意見で、単に理想かもしれないので。念のため。

小学校就学前…各家庭の方針。

小学校…平仮名および九九が修得の最初。様子見。以下優先事項。

          理科…ものの性質。必須。

             国語…初歩の漢字。読み書き。

             算数…数えるや計算といった、その地の「経済活動」を営む上                                     での買い物や生活費の計算といった「基本的な生活感」                                     を養うことを最低限。目的の基礎。

          社会…地域の営み。

       英語…親しむ、だろうか。

       音楽…好き嫌いはまだ、わからないはず。「芸大」とか
                               「音楽」  の道を目指すなら進路をつぶさないような教育                                     的な配慮が求められるのかとは思う。

       図工…上記の「音楽」と同じ。ものを大事に、でしょうか。

      

         小学校の間は、勉強を楽しめるような地域環境的な配慮を、                            と、経験から。

中学校…言うまでもなく義務教育の仕上げ。そろそろ、勉強への興味も決まってくるかと思うので、ドイツのマイスター制度などから、職人を始めとする就業、技能獲得への道か、そうでないかを必要に応じて助言。地元の教員養成機関と地域の連帯、さらに言うと、「地方創生」を受けて「地域経済」観と「ふるさと納税」の制度の運営から、地域感を伴った人材が輩出できるよう、でしょうか。

「教育」「法律」「経済」が三本と思うので、これらを併せ持つことは難しいことから、地域活動を通じて、無理なく「共有」に持っていければ教員の人格と指導力向上に唯一つながるのでは。教員も人間だ。

中学校になると、勉強の内容が、専門的になってくるから、指導の行き過ぎにだけは気を付けて、苦手項目はあるだろうが、なるべく中学校内容の学習項目は落とさないようにしたい。結局、必要になるから。

高等学校…これまでは、義務教育は中学までと言いながら、実質、高校までだったので、いわば、少し、反発が生じていたように思う。

勉強は、無理矢理にさせても、労働上、少しプラスになるだけで、何もい
いことはないから、興味と適正に合わせて。それが、本人のため。人材育
成が肝要なのだから。言うまでもないと思うが。

あと、地方の公立高校は、勉強の学習と機会を提供することが目的なのだ      から、それに準じた内容を、とは。

私の場合は、商業高校だったので、一応、思うところはあるが、卒業後、      在学中に日商簿記一級に合格者が出たと聞いたから改善されていると思い      たい。目的本意ではない指導とは思うが。時代に沿った指導と、変な対処      がなければ。

3.社会

  • 偏差値概念を学校に対して分かりやすく導入…でも、強制することになるから、興味のある方だけ、でしょうか。勉強への偏見をなくすとの理由から。今は、知見として。

例:スマホは高校から。その理由は、情報端末なので、低年齢だと使

いこなせないし、楽しみもあまり、見いだせないことが実情としてあ

るから。あと、動画。見ないほうがいいものがあるとは言っても、まだ

、わからない。けど、確かにそれはある。だから。

  • 学校などの教育機関に対する認識…学校での勉強、そして、社会とのつながり。それが感じられる、温かい運営…でしょうか。最低限。

COMMUNITY

「地域社会」が運営できれば。


「生きる」は上記に挙げたとおり、「地域社会」とともに、と、言うことができる。

では、「活きる」はどうだろう。

「活きる」の字は、活力の活と書く。

これは、言うまでもないが、生きていけると思える力…。

ここで、自分のこれまでの話を(流れ上)…。

今までは…とはいっても、1983年から1991年頃までのことだが、まずFCが流行り、次にSFCが世に出た。その間、ひたすらRPGとSLGを中心に打ち込んできた(時代を感じる)が、1992年に、専門学校に進学させてもらい、当面は、日商簿記2級取得の勉強をしたが、事情あって、それまでの経緯から、真・女神転生、FF5,DQ5と手を出してしまい、学校も休みがちになった(買う気はなかったが通学の途中に目にした当時STREETFIGHTER2も)…。その後、何とか気持ちだけのような格好で(工簿と原計だけ)、その年の日商簿記1級に合格できたものの、勉強と目的の両立の問題で行き詰まり、電卓1級はほとんど解答できない状態で落ちた…。

税理士コースには進めたが、肝心の商簿が当時出来ずじまい…、さらに、通学時に出会った、かつての小学時代、中学時代の同級生にも煩わされたのが大きい…。複雑な胸中の中、学校と家庭を行き来する日々を繰り返し、ある日、専門学校からの帰り、駅内の書店に立ち寄ってみると、何気なく他の専門学校の情報に目が留まり、そこで、公認会計士の資格を知った…。

そこで、一次試験から受験指導をしているという(当時受験資格が必要だった)T○KY○会計専門学校の存在を知り、資料を取り寄せ父に相談し、許しを得?単身上京した。しかし、学習の基本的習慣がない身にとって、ゼミ方式は合わなかった。勉強の進め方、取り組み方がわからないのである。

講義型の学習スタイルではないことに違和感を覚え、さらに、学力テストをしないのに、数学さえできれば一次試験は突破できるという教示で、なぜか自費で数Ⅰの問題集の購入を指示され、ただ、問題集を眺める日々…。

簿記に対しては、テキストと問題集が合わさったような結構厚い本上のものが4冊あったが(商簿、会計学、公募、原計)、その前の、問題集、テキスト、朝の確認テスト、講義までセットになった、わかりやすいスタイルの勉強方式から一転したことに戸惑いを覚えた…。が、なかば、自動で1級を取得でき、それまでの過程が、気付けば、高校受験だったという、いわば、学力を養う期間を素通りしていた経緯から、こんな日常生活のやり取りで難関資格を取得できるんだ…と言う誤った思い込みに陥っていた私は、思考停止の状態だったのだろう。

最初の1年目に、母からの注意がありながらも、子猫と一緒に寝てしまい、翌日、圧死させていた経緯と関連してか、ほぼ同時に、体調の変化も感じることになり、誰にも言えない罪悪感の中、目標、目的の設定、それに伴う膨大な作業を同時併発的に一気に負担することになったことで感覚がマヒしてしまっていた…。

そんな中、担当講師に勧められ、購読していた○日新聞に挟まれていた中学受験のチラシを見て、私の勉強環境と気持ちはさらに大変になった。その後しばらく、他のそれには目をくれず、ひたすら、数学の問題集を眺めた…。

しかし、いくら鈍感でも、さっぱり効率の上がらない勉強方法に疑問を感じないわけはない…それと、親の年収に問題はないはずなのに。何故か生活に充実感がないのだ…。机すらない。

思えば、自分の学習スタイルが確立されていなかった。そして、ある結論に達した…某通信教育で、国語は中学生相当から、数学はなんと分数からやり直すことにしたのだ。自分の意志で。費用は、一科目9千円、2科目目は8千円の計1万7千円也。母親に連絡を取り、了承を得るも、すぐ不安は起こった。最初の引き落としがされなかったのだ。

当時の自分の気持ちはいかようなものであったろう。でも、すぐ思い直した。生活を続けることに。青年特有の心理、根拠に乏しい自信である。「勉強さえすれば」。私も例に外れなかった。今の会計士受験からは考えられない話だが…。

そんなこんなで(あとは話を控えたい余計なことがあったことで本来いらぬ意図が生じた感があるので)、一次試験の日を迎えた。結果は、受験資格には届かなかった。

何故だったのだろう…学力が及ばなかったのはわかっている…問題は、なぜ、その問題が生じたのか、だ。

今ではわかっている…が、他の問題に意識が向く。学費の行く先と内容だ。あまりにも、一般家庭を無視している。そう、教育水準だ。

ここで、私事だが、私はそれから27年目(随分飛ぶが長いので)にして、それまでの低調から、今度はできるところから始めてみようと、ITパスポートの受験を思いつき、実行に移した。

簡単という触れ込みだったが、勉強方法の観点から、通信教育をチョイスすることにした。3か月目一杯要することにし、結果はなんとか合格したが、このITパスポートの専門学校での合格率を見て思った。高校生より低いではないか(若干)。

今、私は、これまでの経緯から、また、TVでSDGSといった、環境のことを憂えた話題やニュースを見るにつれ、目的に近づくための生活様式の確立の必要性を感じた。

私は、何とか立ち直れたが、問題は、そこまで気持ちが保持できるかで、その者の数だ。そして、その余波だ。社会不安は少ないほうがいい。

私は知ったから、伝えたいと思った。今まで、中学から高校まで、およそ不勉強だった。しかし、目的を得たら、勉強をしたいと思った。

だが、気付いたら、周りを取り巻く環境のあまりものひどさに身動きが取れないところだった。何とか専門学校に行かせてもらい、ある程度の資格を取れたことで(今になって)、最低限の説明ができた。やはり、勉強の必要性は不変だ。あとは、その必要とされる社会での生かされ方だ。下の図を見てほしい。以上の図だと、日商簿記一級は応用という位置づけになるが、

会計士や、税理士といった職業会計人と呼ばれる資格を視野に入れると、次のようになる。

会計士や、税理士といった職業会計人と呼ばれる資格を視野に入れると、次のようになる。

このように、三,二,一級までが基本となるのだ。


必要な会計処理の段階なのだから、難度がどうのこうのという問題ではないと思う。

昔は3級は残高試算表の作成だった(商店経営)。

それが今や、小企業経営…。帳簿作成一通り。決算ができる。只の簿記の知識じゃない。技能だ。

2級も。昔は1級だけだった。

ここで、自分なりに落ち着けた見解?を一つ。

① CPA

  • 独占業務(会計監査)

監査を実施するためには非常に高い専門性が必要とのこと。企業活動が分    かることは想像がつく。

② 税理士

  • TAXマネジメント

独立資格。

③ 日商簿記1級

簿記の定番資格(らしい)。ITの発達した今ではあるが、企業の金の流れを把握するには簿記の原理を学ぶ必要があり、それには、必要な技能を習得せねばならない。

そのためには、やはり、基本は押さえておかなければならないはずで、真面目に取り組めることが大事と、今は思う。

3級からコツコツ取り組むのが面白いと思う。

2級も普通にわかるようになった。やはり、信念は大事だ。

継続は力なりと実感。恥ずかしくなかった。考え方の問題だった。

言いたいことは、もし、勉強への偏見がある方がいるのなら、少しでも和らげてほしいということだ。私は、高校までの不勉強を理由に、卒業後、必要以上に自分を追い込んできてしまった。

言ってしまえば、勉強は、生活をするためにある過程なのだから、楽しむ必要がある。人生の長い間を過ごさねばならないのだから、そのために修得する技能を得る過程で勘違いや偏見があっては、社会活動や生活が阻害されてしまう。

そうならないためには、やはり、それぞれが努力する必要がある。それは、ときに過酷だ。自分の能力を知ることになるから。

でも、簿記については、その原理を知ることは必要で楽しく、有意義だ。経営する方ならなおさら。これから、「経済活動」への造詣は必須だと思う。どんな形にしろ、社会に目が向くなら。

私は、一人で活動するあまり、自分を追い込んでしまったので、そのようなことを少しでも減らしたいとも思って、これを書いた。参考になれば。