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盛岡の「てらてら坊」【てるてるmemo#8】

はじめに

 童謡作家・北原白秋(1885-1942)の発案で編まれた『日本伝承童謡集成』。そこから、以前に次のような唄を紹介しました[北原1974(1949):36頁]。

照るか、照らなえか、てらてら坊。

 昭和24年(1949)発行の『日本伝承童謡集成』第2巻「天体気象・動植物歌篇」に、岩手県に伝わる童謡として掲載されている、とても短い素朴な唄です。
 唄のなかで「照るか照ら|な(ママ)えか」と問いかけられている「てらてら坊」とは何者なのか。てるてる坊主のことを指しているのか、あるいは、「てらてら」と輝く太陽を指しているのか、はっきりとしたことはわからないままで、以前の紹介を終えていました(★詳しくは「「てるてる坊主五段活用」は可能か【てるてる坊主の呼び名をめぐって#4】」参照)。

 『日本伝承童謡集成』に集められているのは、日本列島各地(なぜか北海道をのぞく)の調査報告書などに掲載された童謡です。前掲した「てらてら坊」の童謡について、このたび、その参照元と思われる資料2つに出合えたので、ここにご紹介します。

1、盛岡の事例2つ

 2つの資料の執筆者はともに橘正一しょういち(1902-40)。岩手県盛岡市出身の方言研究者です。

【事例1】
 1つめは雑誌『民俗芸術』に掲載された「盛岡の童謡と童詞」と題する報告から。『民俗芸術』は民俗芸術の会が発行していた雑誌です。
 昭和6年(1931)7月発行の第4巻第4号で、「童戯・童謡・童詞」が34頁にわたって特集されました。橘は「盛岡の童謡と童詞」と題して、当地の事例を数多く37例も報告しています。そのなかで注目したいのが次の事例[『民俗芸術』1931:251頁]。

てらてら坊を石で叩く時の詞
照るか照らなエか、
てらてら坊。
 終つて人形を縛つてつるしておく。あした天気になれば解いて川に流す。

【事例2】
 2つめは雑誌『国語教育』に掲載された「新定小学国語読本巻二の方言指導」から。『国語教育』は国語研究会が編み、育英書院から発行されていた教育雑誌。
 昭和8年(1933)10月発行の第18巻第10号に「新読本の研究」と題された特集が組まれています。「新読本」とは、同年の春から日本列島各地の尋常小学校で使用が開始された教科書『小学国語読本(尋常科用)』(通称「サクラ読本」)のこと。
 特集にあたって、橘は「新定小学国語読本巻二の方言指導」と題した一文を寄せています。『小学国語読本(尋常科用)』(一年生)の巻二に掲載されている文章をめぐって、方言を切り口とした解説が加えられています。
 『小学国語読本(尋常科用)』に掲載された文章のうち、てるてる坊主が登場するのは「アシタ ハ エンソク」という一文。その解説において橘は、「照々坊主の土俗や童謡は地方によつて多少の差はあると思ひます」と述べ、岡山県・兵庫県・大阪府に伝わる童謡を列挙しています。
 そして、そのあとに続けて自らの故郷盛岡の事例を次のように紹介しています(改行は引用者。また、同じ音の繰り返しを表す「くの字点」は横書きできないため「〳〵」と表記)[『国語教育』1933:55頁]。

盛岡市では「照るか照らなエかテラテラ坊」を繰返しながら、紙人形を石で叩く
他の一人が「照ります〳〵」と云へば、赦して川に流してやります。

2、日が照ることへのこだわり

 【事例1】は昭和6年(1931)の報告、【事例2】はそれから2年後の昭和8年に発表された一文です。2つの事例を比べてみると、共通する部分と異なる部分とがあることに気づきます。共通しているのは、「照るか照らなエか」と脅しながら石で「てらてら坊」を叩く点。
 【事例2】によれば、「てらてら坊」は紙で作られていることがわかります。紙と石という組み合わせは、ジャンケンを思い起こさせます。ジャンケンでは紙(パー)は石(グー)に勝ちますが、紙人形の「てらてら坊」の場合、石で叩かれるのはきついことでしょう。【事例2】によれば、唱え文句を繰り返しつつ、何度も叩いたようです。

 唱え文句にも耳を傾けてみましょう。問われているのは、「照るか照らなエか」という日照の有無。雨や雪が降りさえしなければいい(曇りでも可)というわけではありません。求められているのは、日が照ること(曇りではダメ)なのです。
 こうした日照を願う気持ちは、唱え文句だけにとどまらず、「てらてら●●●●坊」という呼び名そのものからも感じられます。もとより、そうした願いの現れは、盛岡の「てらてら坊」だけに限ったことではなく、ひいてはてるてる●●●●坊主一般に対しても指摘できそうです(★詳しくは「なぜ「晴れ晴れ坊主」ではないのか【てるてる坊主の呼び名をめぐって#8 わらべうた編】」参照)。

3、背後にある発想

 さらに興味深いのは、石で叩いたあとの作法に違いが見られる点。【事例2】では、叩いたひととは別の誰かが「照ります、照ります」と応えることで、「てらてら坊」を赦してあげるといいます。ここで深くは論究しませんが、世界各地に類例が見られるまじないである、成木責めの習俗と同じ発想です。
 いっぽう、【事例1】の場合は、「照ります、照ります」と応えるような、別の誰かは登場しません。その代わり、石で叩く作法が「終つて」から「人形を縛つてつるしておく」そうです。どうやら、「照るか照らなエか」と脅しながら石で叩く時点では、「てらてら坊」はまだ床か地面に置かれていたようです。
 この【事例1】では「てらてら坊」は縛られます。縛られるのが首の部分なのか胴体の部分なのかはわかりません。そして、翌日まで宙ぶらりんに吊るされます。吊るされる場所についても残念ながらわかりません。

 なお、【事例1】と【事例2】ともに、「てらてら坊」を川に流す点は共通しています。しかしながら、流すタイミングが異なります。
 【事例1】では、叩かれて縛られて吊るされた翌日、願いどおりに好天に恵まれた場合に、束縛を解かれて川に流されます。「てらてら坊」に対するお礼や労いの意味が込められているのでしょう。
 いっぽう、【事例2】の場合、川に流される時点では、まだ好天や日照といった望ましい状況に恵まれているわけではありません。依然として結果は不透明なままです。それでも川に流すのはなぜでしょうか。
 ひとつには、まじないの効果を高めようとする工夫と考えられます。結果が出ないうちから、あらかじめ川に流して労ってしまうことで、「てらてら坊」に対して「貸し」を作ります。そうして「てらてら坊」が負い目を感じざるを得ないような状況に仕向けることで、「てらてら坊」に出し惜しみなく呪力を発揮してもらおう、という魂胆が透けて見えます。
 あるいは、「てらてら坊」を形代と位置づける見かたもできるでしょうか。日照を妨げ悪天候をもたらすような悪霊の存在を想定し、それを「てらてら坊」に託す。その「てらてら坊」を川に流し去ってしまえば、きっと日照や好天がもたらされるだろうという発想です。

おわりに

 先述のように、以前わたしは、岩手県の伝承童謡に歌われる「てらてら坊」とは何を指しているのか、てるてる坊主なのか太陽なのか、わかりかねていました。しかしながら、橘正一が紹介している事例によって、盛岡市では「てらてら坊(テラテラ坊)」とはてるてる坊主を指すことがはっきりしました。
 古今の事例を見渡してみると、てるてる坊主の名称は実に多彩です。前半の「てるてる」という部分に限ってみても、「てりてり」とか「てれてれ」と呼ぶ事例も散見され、まれには「てろてろ」という事例も見られます(★詳しくは、前掲した「「てるてる坊主五段活用」は可能か【てるてる坊主の呼び名をめぐって#4】」参照)。
 言うまでもなく、これらの呼び名は「照る」という語の活用(ラ行五段活用)に沿ったかたちです。そうしたなか、「て」というかたちが見られるのは、わたしの管見の限りでは、橘が紹介している盛岡市のケースのみ。たいへん希少価値の高い事例と言えます。
 盛岡市のある岩手県のとなり、宮城県の仙台あたりでも、「てらてらぼーず」という語がかつて聞かれたようです。昭和13年(1938)発行の『仙台の方言』に採録されています。ただし、仙台あたりで使われた「てらてらぼーず」とはてるてる坊主のことではなく、禿げ頭のことを指すそうです[土井1938:159頁]。
 なお、てるてる坊主への願掛けをめぐっては、本稿で紹介したような石で叩く方法のほか、てるてる坊主に石を投げつけるといったケースも見られたようです。てるてる坊主を脅したり傷めつけたりする、強迫的なまじないの作法をめぐっては、また稿をあらためて整理・検討しましょう。

参考文献(編著者名や書名の五十音順)
・北原白秋〔編〕『日本伝承童謡集成』(改訂新版)第2巻 天体気象・動植物唄篇、三省堂、1974年(初版は国民図書刊行会、1949年)
・国語研究会〔編〕『国語教育』第18巻第10号、育英書院(橘正一「新定小学国語読本巻二の方言指導」)
・土井八枝『仙台の方言』、春陽社、1938年
・『民俗芸術』第4巻第4号、民俗芸術の会、1931年(橘正一「盛岡の童謡と童詞」)

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