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なぜ「晴れ晴れ坊主」ではないのか 【てるてる坊主の呼び名をめぐって #8 わらべうた編】

はじめに

 これまで数回にわたって、てるてる坊主の呼び名に注目して、文献資料に見られる実例を整理してきました。呼び名の前半部分に注目してみると、とりわけ近世(江戸時代)から近代の中頃(大正期)までは、「てるてる」「てりてり」のほか、「てれてれ」「てろてろ」といった具合に多彩な呼び名が見られました。
 いっぽうで、晴天を祈願する風習であるにもかかわらず、「晴れ晴れ坊主」とか「天気坊主」などと呼ばれている例は確認できませんでした。なぜ、「晴れ晴れ坊主」でも「天気坊主」でもなく、「てるてる坊主」なのでしょうか。今回はてるてる坊主が登場するわらべうたを手がかりとして検討してみたいと思います。

1、手がかりとしてのわらべうた

 「てるてる坊主てる坊主、あした天気にしておくれ」というフレーズでよく知られる童謡「てるてる坊主」が世に出たのは、今からちょうど100年前の大正10年(1921)のことです。浅原鏡村(1895-1977)の作詞、中山晋平(1887-1952)の作曲により、実業之日本社の雑誌『少女の友』14巻6号に掲載されました。その後、現在まで100年のあいだに童謡「てるてる坊主」は広く人口に膾炙してきました。
 この童謡がてるてる坊主の呼び名に与えた影響について、国語学者の松井栄一(1926-2018)による興味深い指摘があります。先述のように、てるてる坊主の呼び名は近代の中頃(大正期)まで多様でしたが、その後は「てるてる坊主」にほぼ画一化されています。この画一化の一因を松井は童謡「てるてる坊主」の普及に求めています。
 童謡「てるてる坊主」は昭和前期には学校教科書にも長らく掲載されました。そうして子どもたちの目に触れる機会を多く得たことで、「てるてる坊主」という呼び名が確立されるのに一役買ったのではないかと、松井は自身の体験も踏まえつつ推測しています[松井2004:16-17頁]。
 あるいは、松井が言うような呼び名のみならず、「あした天気にしておくれ」と願いを掛けられるてるてる坊主のイメージも、童謡「てるてる坊主」の普及とともに確立されたのではないでしょうか。裏を返せば、たとえば童謡誕生以前に唄われてきたわらべうたのなかには、童謡「てるてる坊主」の影響に覆いつくされる以前のてるてる坊主像を垣間見ることができるかもしれません。
 そこで今回は、てるてる坊主が登場するわらべうたに耳をすましてみます。

2、≪将来の晴天≫か、≪現在の日照≫か

 童謡作家の北原白秋(1885-1942)の発案で編まれた『日本伝承童謡集成』には、「各種各様の機関」や「全国各地の郡誌」などから採集した「伝承童謡」が収められています。同書の収集方針として、対象は明治末期までのものとし、大正期以降に創作されたものは一切省いたといいます[北原1974a]。そのため、大正10年(1921)発表の童謡「てるてる坊主」は同書の収集対象から外れています(本稿では、この童謡「てるてる坊主」と区別するため、『日本伝承童謡集成』に収められている明治末期までの「伝承童謡」のことを「わらべうた」と呼ぶことにします)。
 『日本伝承童謡集成』の第2巻は「天体気象・動植物唄篇」であり、気象に関わるわらべうたの1つとして、てるてる坊主が登場する唄が日本列島の各地から集められています[北原1974b]。先述した同書の収集方針に依るならば、それらは明治末期までに伝承されていた唄です。すなわち、100年前(大正10年=1921)の童謡「てるてる坊主」誕生よりも前の時代に口ずさまれていた唄の数々です。
 てるてる坊主が登場するわらべうたは12例掲載されています(下記の表1参照)。そこに見られる呼び名については、思いのほかすでに画一化されていて、「てるてる坊主(照る照る坊主)」あるいは「てる坊主(照る坊主)」がほとんどです。唯一の例外として、兵庫県の事例(⑨)では「てるてるぼんさん」と呼ばれています。

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 むしろ、ここで注目しておきたいのは願掛けの内容です。それは大きく2つに分けられます。1つは童謡「てるてる坊主」と同じく、「あした天気に」という具合に≪将来の晴天≫を願うもの、もう1つは童謡とは異なり、「日が照っておくれ」という具合に≪現在の日照≫を願うものです。前者が晴天という将来の願望を前もって示しているのに対し、後者は日が陰ってしまっている現状を打破しようとする試みです。ここでは、わらべうたで唄われるてるてる坊主への願いは、「あした天気にしておくれ」だけに限らないことを記憶にとどめておきましょう。

3、晴天を「天気」ということ

 『日本伝承童謡集成』所収のてるてる坊主が登場するわらべうた12例のうち、≪将来の晴天≫を願うものは8例見られます(表1の①②③④⑥⑦⑧⑪)。語尾は「しておくれ」6例(①③④⑥⑧⑪)と「なぁれ」2例(②⑦)に分かれるものの、いずれも「あした天気に」という願いが唄われています。てるてる坊主に天気をコントロールする役割が期待されているのです。
 ところで、この≪将来の晴天≫を願う8例においては、晴天を願う内容の歌詞でありながら「晴れ」という語は一切見られません。その代わりに、もっぱら「天気」という語が使われている点が注目されます。「晴れ晴れ坊主」に「晴れ」を願うのではなく、「てるてる坊主」に「天気」を願うという表現の形が採られています。
 『日本伝承童謡集成』が収集対象とした時代は、先述のように明治末期までですが、当時「晴れ」という語がなかったわけではありません。たとえば、各地に残された古い日記類を見ると、「曇」や「雨」「雪」などと並んで、「晴」という表現はすでに近世(江戸時代)には頻出しています。
 てるてる坊主以外のわらべうたにも目を向けてみましょう。『日本伝承童謡集成』には、天気占いの唄も日本列島各地から集められています。今後の天気を占う唄23例のなかで、晴天や雨天はどう表現されているでしょうか(表2および表3参照)。

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 まず、晴天を指す表現に注目してみます。最も多く見られる表現は、単に「天気」あるいは「日和」です(13例)。「天気」は東北から四国にかけての広い範囲で散見され、「日和」は石川・兵庫・岡山で見られます。
 2番目に多い表現は「(天気が)好い」です(5例。④⑤⑦⑪⑫)。長野・岐阜・石川・愛知といった中部地方とその周辺で見られます。この「(天気が)好い」が用いられる場合、対になる雨天に言及する際には「(天気が)悪い」が多く用いられています(⑤⑦⑫)。
 そして、晴天を指す3番目に多い表現は「照る」です(3例。⑥⑩⑬)。山梨・長野・新潟といった甲信越地方で見られます。この場合、対になる雨天を指すのには必ず「(雨が)降る」が用いられています。
 いっぽう、雨天を指す表現に注目してみるなら、最も多い表現は「雨」です(10例。③⑧⑭⑯~㉒)。この「雨」と対になるような晴天を指す表現は、言うまでもなく「晴れ」のはずです。しかしながら、『日本伝承童謡集成』を見る限り、天気占いのわらべうたのなかに「晴れ」という語はまったく登場しません。「雨」10例の対として使われているのは、「天気」(5例。③⑧⑯~⑱)もしくは「日和」(5例。⑭⑲~㉒)です。
 このように、『日本伝承童謡集成』所収の天気を占うわらべうたにおいては、晴天を指す表現としては「天気」や「日和」が多く、あるいは「(天気が)好い」「照る」という語に落ち着きます。てるてる坊主が登場するわらべうたのみならず、天気占いのわらべうたにおいても、「晴れ」という語はなかなか見つかりません。もとより、その理由については、てるてる坊主の呼び名に「晴れ」が使われないのと同様、定かではありません。

4、日が「照る」ことへのこだわり

 『日本伝承童謡集成』所収のてるてる坊主が登場するわらべうた12例のうち、≪現在の日照≫を願うものは4例見られます(表1の⑤⑨⑩⑫)。なかでも注目したいのが、表1の⑤に見られる「天あけぇろ、天あけろ」というフレーズです。

照る坊主、天あけえろ、天あけろ。   (長野)

 「天をあける」とは、固く閉ざした雲を掻き分けるようなイメージでしょうか。そのようにして、邪魔する雲の合間から日が照ってくることを、ここでは「照る坊主」に願っています。
 このような、雲間から日が射すように願うわらべうたは、てるてる坊主が登場するものだけに限りません。『日本伝承童謡集成』所収の例を引くと、関東をはじめ宮城や長野など東日本に数多く見られます(下記の表4参照)。唄の内容に詳しく触れる余裕はありませんが、興味深いのは、いずれも太陽に向けた直接の呼びかけが見られる点です。

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 いっぽうで雲に向かっては、「雲、雲、傍へ寄れ」(表4の②)あるいは「雲さまどかしゃれ」(同⑦)といった具合に、太陽の邪魔をしないで傍らへ退くように求めています。あるいは、これらに似た下記のような事例もあります。

あっちばっか照って、
こっちばっか照らぬ、どういうこった、
箒持ってぼってけぼってけ。   (愛知)

 「どういうこった」の部分は、「意地悪な雲よ」とか「どういう雲だ」と言い換えて唄われることもあるそうです。日が陰っているので、箒(ほうき)を持っていって邪魔する雲を追い散らしてしまおうという唄です。
 箒で雲を掃き散らすと言えば、てるてる坊主と似た風習として引き合いに出されることの多い、中国の「掃晴娘」が思い浮かびます。長雨が続いたとき、紙を切り取って女の子の人形を作って門に掛け、雨が止むように祈る。その際、人形の手には箒を持たせるといいます。
 「掃晴娘」の「掃」の字は、雲を箒で「掃く」ことに因むのでしょう。そして、「掃」に続く「晴」の字は、「晴天」という静的な状態より、むしろ、雲を「晴らす」という動的な意味合いが濃いように感じられます。
 呼び名に注目してみると、同じように悪天候の払拭を願う風習でありながら、掃晴娘の場合には長雨をもたらす雲を「掃き晴らす」ことが重視されており、いっぽう、てるてる坊主の場合には日が「照る」ことが重視されています。言い換えれば、掃晴娘は先述の≪将来の晴天≫を願うてるてる坊主と同じく、空もようを気に掛ける風習です。それに対して、≪現在の日照≫を願うてるてる坊主の焦点は、空もようではなく地上における日照の有無にあります。

おわりに

 童謡誕生以前のわらべうたには、てるてる坊主に対する2種類の願いが見られました。1つは≪将来の晴天≫すなわち「晴れる」ことへの願い、もう1つは≪現在の日照≫すなわち「照る」ことへの願いです。それでは、てるてる坊主に元々期待されていたのは、≪将来の晴天≫と≪現在の日照≫のどちらでしょうか。それは、≪現在の日照≫なのではないかと私は推測します。
 いま、目の前が陰っている。そんな現状を打破するために、てるてる坊主を作って日が「照る」こと(日照)を願う。もとより、日が「照る」ためには、邪魔する雲がなく空が「晴れ」ている状態(晴天)が求められます。いつしか、てるてる坊主に天気をコントロールする役割も期待されるようになり、さらには、降り続く雨がいま止むように、あるいは前もって「あした天気に」といったわがままな願いが追加されてきたのではないでしょうか。
 ともあれ、祈願内容が≪現在の日照≫から≪将来の晴天≫へと上書きされていっても、元々の願いである「照る」ことに由来する「てるてる坊主」という呼び名は変わらなかったようです。「あした天気に」と晴天を祈願されるようになっても、「晴れ晴れ坊主」と呼ばれることはありませんでした。
 「天気坊主」と呼ばれることもありませんでしたが、例外的に、「天気坊主」に似た「日和坊主」という呼び名が文献資料のうえで確認できます。もっぱら西日本において、「日和坊主」あるいはそれに似た「日和坊さん」「日和坊」などという呼び名が用いられていた時代があります。江戸時代後期の1830年代から明治を経て大正期に至る100年間ほどのことです。裏を返せば、この時代にはすでに、てるてる坊主(日和坊主)に日照ではなく天気(日和)を乞う気持ちが定着していた証とも言えるでしょう。
 てるてる坊主への祈願内容をめぐって、広く知られている≪将来の晴天≫だけでなく、≪現在の日照≫すなわち「照る」ことが重視されている実例は、本稿で取り上げたようなわらべうた以外にも確認できるのでしょうか。てるてる坊主が作られるきっかけについて、またあらためて検討する機会を持ちたいと思います。

参考文献(編著者名の五十音順)
・北原白秋〔編〕『日本伝承童謡集成』第1巻 子守唄篇、三省堂、1974年a(初版は国民図書刊行会、1947年)
・北原白秋〔編〕『日本伝承童謡集成』第2巻 天体気象・動植物唄篇、三省堂、1974年b(初版は国民図書刊行会、1949年)
・松井栄一『「のっぺら坊」と「てるてる坊主」 現代日本語の意外な真実』、小学館、2004年

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