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街を駆ける御日和坊主【てるてるmemo#5】

1、清水晴風『世渡風俗図会』

 幕末のころ、江戸の街を裸の男が「お日和ひより、お日和」と唱えながら祈祷きとうをして駆けまわっていたといいます。なんとも興味深い話です。その名も「御日和坊主」。『世渡よわたり風俗図会』に記録がのこっています。
 『世渡風俗図会』を描いたのは玩具研究者の清水晴風(1851-1913)。神田旅籠町(現在の東京都千代田区外神田)の生まれで、本名は清水仁兵衛にへえ、雅号は芳華堂晴風。
 清水晴風は20歳代のころ、各地の郷土玩具に興味をもちました。明治12年(1879)に仲間とともに竹馬の会を結成。郷土玩具を収集し、研究活動を進めました。竹馬の会には、のちに坪井正五郎(人類学者。1863-1913)や巌谷小波(児童文学者。1870-1933)なども名を連ねました。
 出版まで至らなかったものの、清水晴風は稿本『世渡風俗図会』をのこしました。幕末から明治期にかけて江戸の街で見られた、多彩な人びとの姿が描きとめられています。約580枚の絵を収めた全8巻から成り、概して、第1~5卷に江戸時代のようす、第6~8卷に明治期のようすが描かれています(清水晴風と『世渡風俗図会』については、き坊さんのブログ「清水晴風『世渡風俗図会』の研究(改訂版)」から多くを学ばせていただきましたhttps://dabohazj.web.fc2.com/kibo/note/YW-d/mokuji.htm)。

2、願人坊主としての御日和坊主

 そんな『世渡風俗図会』の第2巻に収められているのが「御日和坊主」と題された1枚(★下記の図参照)。彩色はありません。

 坊主頭で裸の男が描かれています。右足の突っ張り具合や、左足の振り上げ具合からして、おそらく駆け足なのでしょう。絵に添えられた詞書には次のようにつづられています(同じ音の繰り返しを表す「くの字点」は横書きできないため、本稿では「〳〵」と表記)。

御日和坊主
  御日和〳〵御日和の御きとふ
御日和坊主ハ橋本町より出る
願人坊主の内にて素裸に
新しきふんどしを〆て
扇と長きつるへ銭を持を
例とす御日和〳〵と呼てさも
世話敷よふかけ歩行あるき
銭を貰ふ者也

 呼び名は「御日和坊主」。「願人坊主の内」であると説明されています。「願人」とは代願人という意味で、本人に代わって参詣や祈願をおこなうひとのこと。願人坊主は江戸時代に江戸市中をまわって、門付けや大道芸をした乞食僧です。なかでも御日和坊主は、副題に「御日和〳〵御日和の御きとふ」と記されているとおり、好天に恵まれるようにおこなう祈祷を得意としていたようです。
 願人坊主は上野(東京都台東区)の寛永寺の支配下にあったといいます。根拠地は神田橋本町はしもとちょう(現在の東京都千代田区東神田)。その4丁目(のち、行政区画変更により3丁目)に願人坊主たちが住む願人長屋があったそうです(橋本町と願人坊主については、ブログ「江戸町巡り【神田①052】橋本町」から多くを学ばせていただきましたhttps://edo.amebaownd.com/posts/3299871/)。
 神田橋本町(現在のJR馬喰町駅あたり)というと、清水晴風が生まれ育った神田旅籠町(現在のJR秋葉原駅あたり)の近在。「願人坊主の内」である、清水晴風が目にした御日和坊主も、神田橋本町からやってきていたのでしょう。
 御日和坊主の姿については、詞書に「素裸に新しきふんどしを〆て扇と長きつるへ銭を持を例とす」と説明されています。絵もそのとおりで、素っ裸で白いふんどしを締めた姿が描かれています。
 褌のうえに色つきの帯も締めているようで、帯には麻の葉文様が見えます。大麻の葉をかたどった文様です。麻には虫が寄りつかないことから、麻の葉文様は魔除けとして用いられます。そこから発展して、無病息災や健康長寿の意味も込められることがある、縁起の良い文様です。
 御日和坊主の名のとおり坊主頭で、鉢巻をゆったりと巻いて、後頭部で結んでいます。右手には白扇を半開きにして持ち、顎のあたりまで掲げています。左手に提げているのは「長きつるへ銭」。わらさしに通して、長くひと続きにした穴明き銭です。
 御日和坊主はこうした姿で、「御日和〳〵と呼てさも世話敷よふかけ歩行あるき銭を貰ふ者」であるといいます。「御日和〳〵」と唱えながらせわしく駆けまわり、そうして集めた1文銭を左手の銭緡ぜにさしに連ねていったのでしょう。
 絵をよく見て数えてみると、1文銭は18枚ほど集まっています。それなりの需要があって、なかなか繁盛しているようです。もとより、いま現在こんな格好で神田あたりを駆けまわっていたら、すぐ警察に通報されて捕まるでしょう。良くも悪くも時代は変わりました。

3、呼び名がよく似た日和坊主

 御日和坊主をめぐって、てるてる坊主との関連で注目したいのは2点。1つめは呼び名に類似が窺える点、2つめはお天気をコントロールする呪力が期待されている点です。
 1つめに呼び名の類似をめぐって。前掲したブログ「清水晴風『世渡風俗図会』の研究(改訂版)」でも触れられているのですが、民俗学者の宮田登(1936-2000)によれば、てるてる坊主の別名のひとつとして、「西日本各地では日和坊主の語がある」といいます。
 「てるてる坊主と日和見」と題された短文においての指摘です。同文のなかでは日和坊主の一例として山口県萩市の事例が紹介されています[宮田1980:42頁]。
 それをふまえつつ、わたしはかつて、古今のてるてる坊主の呼び名について整理・検討したことがあります。対象としたのは江戸時代から明治・大正期を経て昭和の中ごろに至るまでの文献。
 その結果、江戸時代後期から明治・大正期にかけて(西暦で表すと1830年代~1925年ごろ)の100年ほどのあいだ、西日本各地ではもっぱら日和坊主という呼び名が用いられていたことが明らかになりました(★詳しくは、下記の「西日本では「日和坊主」というのは本当か【てるてる坊主の呼び名をめぐって#6】」参照)。
 先述したように、江戸の街を御日和坊主が駆けめぐっていたのは幕末のころ。それは、てるてる坊主の別名である日和坊主という語が散見されはじめる時期と、年代的には重なります。ただし、御日和坊主の根拠地は江戸の神田、てるてる坊主を日和坊主と呼んだのは西日本の各地であり、地理的には隔たりがあります。呼び名をめぐっては、ただ類似しているという点までの指摘にとどまりそうです。

4、好天をもたらす坊主

 2つめにお天気をコントロールする役割をめぐって。宮田登は前掲した短文「てるてる坊主と日和見」のなかで、民俗学の先人である柳田国男(1875-1962)の見解を紹介しています。
 柳田国男は「人形によって晴を祈るという町の風俗は、以前の農民の災害観に根ざしている」として、「天気祭や日和祭も、風や雨を起こす悪霊を人形に託して追放せんとした者の考案によるのだろう」と述べています。すなわち、悪天候を悪霊の仕業とみなし、悪霊を形代である人形に託して追放してしまう。そんな「農民の災害観」に基づく風習が天気祭り(日和祭り)やてるてる坊主だというのです。
 こうした柳田説をふまえつつ、宮田登はてるてる坊主が「坊主とか法師の異称をとっている点」に興味を寄せています。そして、「天気や日和の呪いに、法師を形代にするという発想は、このハレの儀礼を主宰した宗教的な存在を予測させる」と指摘しています[宮田1980:42頁]。
 すなわち、好天を願うまじないであるてるてる坊主は、その名のとおりに僧形そうぎょう(坊主や法師の姿かたち)をしている。その背景には、好天を願っておこなわれる「ハレの儀礼」をかつて司っていたであろう「宗教的な存在」が見え隠れしているというのです。
 そのうえで、そうした「ハレの儀礼を主宰した宗教的な存在」こそが「日知り(聖)」であると宮田登はいいます。宮田説の発想の原点は、先述のように、てるてる坊主が「坊主とか法師の異称をとっている点」でした。「ハレの儀礼」の主宰者である「日知り(聖)」の代表格として、坊主や法師と称された人たちを想定しているのでしょう。
 本稿で紹介してきた、「御日和〳〵」と祈祷しながら江戸の街を駆けまわる御日和坊主●●もまた、「日知り(聖)」の端くれといえるでしょうか。お天気をコントロールすべく呪的な力を駆使し、好天をもたらすと期待される、坊主や法師と称される存在。
 そうした役回りは、とりもなおさず、てるてる坊主●●とも共通しています。宮田登は前掲の短文を次のような一文で締めくくっています。「実はてるてる坊主の法師姿も、ひじりの変化したイメージが残存しているのだということも分ってくるのである」[宮田1980:42頁]。

 てるてる坊主と「日知り(聖)」をめぐっては、たいへん根の深い関係が予想されるので、また稿をあらためて検討する機会をもちたいと思います。
 また、清水晴風とともに郷土玩具の収集と研究を展開した竹馬の会のメンバーには、先述のように坪井正五郎や巌谷小波の名が見られます。奇しくもこの2人も、てるてる坊主と深い関係があります。詳しくは文末に掲げた拙稿(「明治期のてるてる坊主事例(フィクション編)【てるてる坊主考note#21】」、および、「同(ノンフィクション編)【同#22】」)をご覧ください。

参考文献
・清水晴風 『世渡風俗図会』第2巻、未刊本
・宮田登 「てるてる坊主と日和見」(『民博通信』11号、国立民族学博物館、1980年)

参考にさせていただいたブログ
・「清水晴風『世渡風俗図会』の研究(改訂版)」https://dabohazj.web.fc2.com/kibo/note/YW-d/mokuji.htm
・「江戸町巡り【神田①052】橋本町」https://edo.amebaownd.com/posts/3299871/

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