オックスフォードのバスの中で
ホームステイが始まってまだ1ヵ月もしない頃だったと思う。
私はすごく活動的だった。日本にいるときはインドアだったのに、とにかく毎日朝から晩までどこかへ出かけていた。
平日は語学学校で授業を受けて、そのあとは街の中心地へ出てカフェや雑貨屋さん、いろんなお店を巡った。
スーパーで買い物をしたある日の帰り道。
市街地からホームステイ先まではバスに乗る。いつものように窓側の座席に座って揺られながら、ぼんやり乗客たちの話し声に耳を傾けていた。容赦ないスピードの英語で、細かい内容は聞き取れないが、イギリス英語独特の音がとにかく好きだった。
「ねぇ、あなたのネイル素敵ね」
突然その英語が自分に向けられた。隣りの席の美しい女性が私の爪を見ている。私はびっくりして一瞬かたまったが、急いでお礼を言った。
とても良い色、どこで買ったの?なんていうメーカー?と立て続けに聞かれ、私の頭はフル回転。
それはキラキラのラメが入った真っ赤なマニキュア。確かどこかのドラックストア、M&SかSainsburyか、ひょっとしたらTescoだったかも。すごく小さいサイズの瓶で黒いキャップでメーカーは… 焦って思い出せない。
カタコトの下手な英語で知ってる単語を並べ立て、できる限りのことをお姉さんに伝えた。
「ありがとう」と微笑みお姉さんは先にバスを降りた。
なんでメーカーの名前忘れちゃったんだろう。嬉しい気持ちをもっと伝えたかった。でもこんな風に見ず知らずの人と交流できるなんて、すごい。
少しの驚きと恥ずかしさと、大きな喜びが身体の中をぐるぐる駆け回っていた。