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寝そべり族と自称哲学者。お金では得られない物。

 こんにちは。
 「寝そべり族」ってご存知ですか?中国の若者に広がっている「向上心もない、消費もしない、寝そべるだけ」の主義。されが寝そべり族です。
 彼等は無駄な浪費をせず、誰かと愛し合ったり、何かを求めたりせず、ただ寝そべって自分の為だけに生きるのです。

 日本にも近しい存在がいますね。引きこもりやニート。ホームレスなんかも近しいかも知れませんね。
 理由や主義に違いはあると思いますが、彼等が社会に与える物はほぼ無いでしょう。
 私もそうです。

 私はこの「寝そべり族」の主義を見て、共感してしまいました。
  全てに共感はできませんが理解はできます。

 受験や就職活動、嘘と蹴落とし合い、ストレス、結婚、出産、親、親戚、老後、ゴシップニュース、政治、宗教、金、時間

 ありとあらゆる「当たり前」が嫌になったのです。
 誰かと愛し合う事なんてできないし、誰かと分かり合う事なんて不可能で、未来を明るく想像できない。
 「何もしないから何もしないでくれ」

 「何も求めないから何も奪わないでくれ」

 「何も奪わないから何も求めないでくれ」

 寝そべり主義は、そういった社会に対する憤りや、未来に対する絶望、叶わない欲望からの諦め。
 そういった「ろくでもないクズ」の主張だ。

 寝そべり族はまだ良い。彼等は頑張り過ぎないだけで「働く」し、犯罪集団でも無い。
 ニートや引きこもりは「働かない」し、誰かを傷つけるやつもいる。

 私は、日本人も寝そべり族になるんじゃないか。既になっているんじゃないか。
 そう考える。

 昨今、Adoの「うっせぇわ」という曲が流行っている。
 曲調や声質はとても良いと思った。
 しかし、「「うっせぇわ」はうっせぇわ」なのである。
 それは私が歌詞に共感できないからだろう。

 つまり都合の良さである。
 私は寝そべり族が正義だと都合が良いのだ。
 「うっせぇわ」が正しいと都合の良い人達が共感するのだろう。

 温暖化や効果高齢化社会、年金問題、貧富の差、差別、必要悪、労働法、戦争。
 ずっと昔からある問題、ずっと先延ばしして誰かに貧乏くじを引かせる。

 「最近の若者は」と言う老人達は、その「最近の若者」の親ではないのか?
 誰かのせいにしたいだけで自分達のせいではないか?

 「社会が悪い」と言う若者達、不満を口にするだけだ。
 政治家になって改善しようなんて思ってない。

  そうしたどうしようもない事から逃れる術が、「寝そべり族」なのではないだろうか。

 無気力なのではなく、望んだ物を手に入れる為の努力の総力がわかっているからこそ気力が出ないのではないだろうか。

 誰が悪いか?それはまず悪の定義から考えなければならない。
 誰が正しいか?誰も正しくなんてない。

 WoWキツネザルというMCなのかコメンテーターなのかわからないが環境問題を扱った動画をYouTubeや TikTokなんかに投稿している方がいる。
 彼が言っていた「考え続けよう」という言葉が私は気に入っている。
 それは環境問題についてだったが、私は全ての事がそうだと思えた。

 寝そべり族がどうこうではない。ただ情報を浪費するだけの寝そべり族になるな。
 テレビのニュースを受け取るだけのうっせぇ人になるな。
 問題を先延ばしにする、臭い物に蓋をする、悪い事は見て見ぬ振りをする。そんな「考えない人」になるな。

 全ての人が賢者にはなれない。
 哲学者になりたくない人もいる。
 それでも誇りを持つ事はできる。

 然様然らば是にて御免。

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