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吉野弘さんの『生命は』という詩を誤解していた話

吉野弘さんの『生命は』は、教科書にも載っている有名な詩だ
私も多分、教科書に載っているのを見かけたのだと思う

生命は自分自身だけでは完結できないようにつくられているらしい

花もめしべとおしべが揃っているだけでは不充分で

虫や風が訪れてめしべとおしべを仲立ちする

生命はその中に欠如を抱きそれを他者から満たしてもらうのだ

世界は多分他者の総和

しかし互いに欠如を満たすなどとは知りもせず知らされもせず

ばらまかれている者同士無関心でいられる間柄

ときにうとましく思うことさえも許されている間柄 

そのように世界がゆるやかに構成されているのはなぜ?

花が咲いているすぐ近くまで虻の姿をした他者が光をまとって飛んできている

私もあるとき誰かのための虻だったろう

あなたもあるとき私のための風だったかもしれない

という文章だ

とても素晴らしい詩です


しかし私は、10年以上この「詩の意味」を誤解します
それは、この詩に登場する「虻(アブ)」の存在だ
本来この「虻」は、花と花、めしべとおしべを仲介する存在、『虫や風が訪れて』の「虫」のはずだが
私はこの「虻」を「邪魔者」という意味で解釈した

「誰かの虻」は「邪魔者」、「私のための風」は「都合の良い存在」と思っていた

【虻が良いものという発想がない】
アブは、世間一般的に、疎ましい存在だ
アウトドアではアブ対策が必須だ
アブは、血を吸い、吸われた側は痛みが生じる
それも、凄く痛い
刺された事がある人はわかるだろう
「鍵でも打たれたのか」と思った

そんなアブが、光をまとって飛んできたら、それは戦闘開始だろ
他者がアブなら、うとましい以上、敵だ
私は、この『生命は』という詩を

他者とは、疎ましい存在、邪魔者だ
自己もまた、他者から見た他者であり、嫌わられ物だ
全ての人は、誰かに迷惑を掛けて生き、それに気付かず営む
それでも、生きることを続ける

という風に解釈していた
詩に習って言えば

『私は、いつかの誰かの虻だったかも知れない

あなたは、私にとっての虻かも知れない』

虻しかおらん
世の中虻だらけ
花も風も光も無い

そう思って10年以上生きていた
ふとした時に気になって、読み直したら全然意味が違って驚愕した
「虻じゃなくていいじゃん」
そう思った

私は、この『生命は』の様に、他者を許し、他者を繋ぐ、光をまとった虻ではなく
自分のみで完結し、欠如を満たそうともせず、うとましさを許さない
怖い人間になっていた

そういう人を沢山見てきた

ゆるやかな世界など存在せず
汚らしい虻がほくそ笑みながら飛び交っている
醜悪な光景に映ったそれは、私が創り出した架空の存在だ

PEOPLE1というアーティストの楽曲に『常夜燈』という曲がある
その曲に
『この世界には未来がキラキラとみえる人もいるというの』
という歌詞がある

私が見てた虻は、私が創り出した常夜灯だ

『臆病な自尊心に匿われて目覚めたのはあの頃の僕らだ』

見たい様にしか映らない
虻は私の心だった
アブを見えなくしたのも私の心だ

疎ましい存在を、疎ましいと思う、この心が疎ましい

然様然らば是にて御免

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