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能力主義を学校に持ち込むな!!


○こんな経験ありませんか?


 学生時代、こんなことを思ったことがありませんか?

 勉強ができる子、全然先生に怒られないじゃん!!

と。

 先生方も無意識だったのかもしれませんが、小中学生時代の私はそう感じていました。

 同じことをしても成績が良ければスルーされ、成績が悪ければ怒られる。そして成績が良い子は優遇され、様々な役割を与えられる。

 すると成績が良い子があたかも正義のように振る舞い始め、成績の悪い子は「自分は馬鹿だから」と、その事態を受け入れるようになる。

 先生のちょっとした差別がクラスの中で階級を生んでしまう、そういう事例です。

 こういう環境は、勉強ができない子が未来に希望を持つことを難しくしているのではないか、私はそう思わずにはいられないんです。


○学力は平等な指針か?


 よくこんなことを言う人がいます。

 「成績が良い人は努力しているのだから、日頃から怠けている低成績者よりも優遇されるべきだ。」

 いわゆる、能力主義に基づいた主張ですね。

 確かに、資本主義社会の原則に基づく正しい意見に思えます。私も以前は同じようなこと思っていました。

 ただ、この主張には大きな偏見が含まれています。

成績が良い人=努力している人  成績が悪い人=怠けている人

 これって必ずしも成り立たないですよね?

 子ども食堂で教えている子の中には、成績は振るわないけどめちゃくちゃ頑張っている子が何人もいます。

 反対に、大して頑張らなくても良い成績取る子がいますよね?こういう子達は地頭が良いというのもあると思うのですが、小さい頃からたくさんの本を与えてもらったり、様々な経験をさせてもらったりした子が多いんじゃないかって思います。

 また、「学力」ってあくまで一つの能力です。身体能力が低い子がいるように、生まれながらにして勉強が苦手な子もいるのだと思います。

 だから学力っていうのは

 「先天的要因」+「環境要因(家庭など)+「学校での授業」+「本人の努力」

 などの様々な要因で成り立っているものだと思うんです。「本人の努力」っていうのは様々ある要素の一つに過ぎず、実は勉強する前の段階から結構差があったりするんだと思います。

 このことから学力っていうのは必ずしも平等な指針ではないと考えます。

 なので、学力によって子どもを優遇したり冷遇するのは、良くないんじゃないかなって思います。 


○学校に能力主義は持ち込むべきじゃない


 学力によって子どもを差別するのは良くないと言いましたが、これは運動能力などその他能力も当てはまります。

 私はそもそも学校に能力主義を持ち込むべきじゃないと思っています

 安易に学校で能力主義を持ち込むと、能力が下だとみなされた子どもは「自分はダメなやつ」だと感じることが多くなります。その結果、「何をしても無駄」と成長意欲自体を奪うことになってしまうと思うからです。

 学校って、言うまでもなく何かしらの能力をつける場所ですよね。

 それらの能力の中でも、学校で最もつけるべき力は「成長しようとする力」だと私は考えています。

 この力さえあれば、何歳になっても、どんな状況でも、自己実現のために努力することができるようになります。それが結局、未来を作ろうと希望を持つことに繋がるんです。

 しかし、先ほど述べたように、安易な能力主義は一部の子どもの成長意欲を奪います。

 つまり、能力主義を学校に持ち込むことは、一部の子どもの未来への希望を奪っているのも同じなのです。


 毎日宿題をやらされることも、毎日学校で興味のない勉強をさせられることも、「学力」をつけることが一番の目的じゃないと思っています。

 「学力」をつける過程で「成長しようとする力」をつけるのが一番の目的なのだと思います。

 いつか自分がしたいことができたときに、「学力」をつけた経験を活かして努力することができるように・・・。

 だから私は、テストの点数よりも、50mを何秒で走れたかよりも、その過程を見てあげたい努力の方法が間違っているのなら一緒に効率の良い頑張り方を考えてあげたい。そして、その過程を評価し、褒めてあげたいなって思います!


○問題提起


 私はすごく疑問に思うことがあります。

 あゆみ(成績表)って小学校段階で必要でしょうか?

 あゆみは基本的に絶対評価です。例えば80点以上取れたら◎、50点以下だったら△といった感じで、クラス全員で基準を揃えて評価する方法です。

 これ、成績が良い子はめちゃくちゃ楽しみなんでしょうけど、そうじゃない子にとっては「成長意欲」を奪う凶器になりうるんじゃないかって思うんですよ。

 だから私は個人内評価を取るべきなんじゃないかって思うんです。

 個人内評価は「前回と比べてどのくらい成長したか」を各児童ごとに評価する方法です。

 これであれば、児童は自分の成長を感じやすく、「もっと頑張ろう」って思えるんじゃないでしょうか。

 

 きっと何か理由があって、日本では絶対評価が取られているんでしょう。

 もしそれが「競争力のある人間を育てるため」とかいう、国益を重視するような考えに基づくような理由だとしたら私は反対したいです。

 そんなことよりも「未来に希望を持つことができる」子どもを育てることの方が私にはよっぽど価値があることのように思えます。それが引きこもりや精神的な病気になる人を減らし、良き納税者を増やすことにも繋がり、結果的に国益にも繋がるのではないでしょうか。

 それを踏まえてもう一度聞きたいです。

 あゆみ(絶対評価)って小学校段階で必要でしょうか?



 これはあくまで私の考えであって、違う考えを持つ人を否定するようなものではありません!!

 なんなら反対意見をめっちゃ聞きたいくらいです!視野が広がるので!

 だから少しでも「ここ違くない?」ってのがあったらバンバン指摘してください。社会にも出てない甘ちゃんが書いたものなので、きっと穴だらけです(笑)


 ここまで読んでくれてありがとうございました!たくさんのご意見お待ちしております。


 


 

 

 

 

 

 

 


 

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