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ネットでのクチコミがすこぶる低評価な時計店。

年代物の腕時計を修理したい、と知り合いが言う。

半世紀近く前に、その人の親類が購入したブランド物だ。正規店に出したら、とんでも無い額の修理代がかかりそうだと言う。
ちょっと心当たりがあるから時計を預けてみないかと言って、その店に時計を持ち込んだ。
地方都市のショッピングセンターの雑然としたラインナップの中。百円ショップと和菓子屋の中間地点。腕時計と壁掛け時計、それからいくつかの宝飾品がガラスケースに収められている時計店。
客が入っているところを見たことは無い。
オープンスペースに店を構えている、というのに妙に厳格が感じがして、冷やかしの客を寄せ付けないような、あちらから一線を引いているという雰囲気が漂っている。
奥のスペースにレジスターを置いたカウンターがあって、店主は大抵腕を組んで、店の中を睥睨するように座っている。七十歳を越えているだろうか。痩躯で眼鏡をかけた店主は、いかにも気難しげなオヤジに見える。
何年か前に、ここで時計を買ったことがある。ソーラー充電が可能な時計で、黒革のベルトの少し良いヤツ。その時に店主が呟いていた言葉が印象に残っている。

「時計なんて一度売ったら電池交換かベルトの交換でしか稼げないのに、こんなの売ったら商売上がったりなんですよ」

まさに今、ソーラー充電の時計を買わんとしている客にそんなことを言うかよ。結構好きだぞ、その感性。
そう思ったのが印象的で、私見だが、ああいう皮肉なことを言うあの年代のオヤジは某かの独自の伝手や技術を持っていることが多いというのを知っている。
何より、それなりにテナントの入れ替わりが激しいショッピングセンターで、ずっとテナントを維持しているのだから、それなりの「何か」があるのだろうと期待をして訪問した。

いつも通り、店主のオヤジはカウンターのイスに座っていた。
すみません、と声を掛けてから私は気が付く。

――オヤジ、居眠りしていらっしゃるな……!?

腕を組んで目を閉じたまま、背筋を伸ばしてイスに座る店主の目は、眼鏡の奥で瞑られている。
おいおい、大丈夫か。いくらガラスケースがあるとは言え、オープンスペースだぞ。万引きの心配とかしないのか。
結構、大きめの声で呼びかけたのだが一向に起きない。何度目かの声でようやく目が覚めたらしいオヤジに言う。

「時計の修理をお願いしたいんですけど、やってますか」
「やってますよ」

いらっしゃいませ、の一言も無く、オヤジはひょいと私の手から時計を取り上げると、修理に掛かり切りになった。客に一瞥もくれない。もう、この時点で結構面白い。好き。

「時計が動かない原因なんて電池。それぐらいしか無い」

言いながら黙々と電池を変える作業を始めた。眼鏡の片方にはいつの間にか、モノクルのような拡大鏡(?)が取り付けられている。先ほどまで居眠りをしていた人物と同一人物と思えないほどイキイキとしてらっしゃる。
そして、客のことは完全放置である。時計しか見えていらっしゃらない。それなりの思い出が詰まった高価なものだから、離れることも出来ないので客は必然、カウンターの前に立ちっぱなしになる。いいねぇ、この対応。かなり好き。
しばらくゴソゴソとやっていたオヤジは、やがて眉を顰めて顔を上げた。

「電池が合わない」

ええっ、どういうことですか。

「型が古すぎて、対応する電池が分からない。メーカーに問い合わせしないといけないかも知れない――いや、待てよ」

会話をしていた筈なのに、オヤジは途中から時計の世界に戻ってしまわれた。客だけ現実世界に取り残されている。かなり心細い。そして、これを素でやっているところが、かなり面白い。
しばらくして顔を上げてオヤジが言う。

「電池は合ったけれど、動かない」

えっ。

「これ、どれぐらい前のものか分かりりますか」

ええっと、預かり物なので――たぶん半世紀は経ってるって話です。止まってから、一度も動かしてないって。

「それだ」

え?

「動かさないのが時計に一番悪い。中身、工場に出してオーバーホールしないと動かないかも知れない」

ええっ、でもそれっておいくらぐらい……?
知人から提示された予算がある。なので、恐る恐る尋ねるとオヤジが不適な笑みを浮かべて言った。

「――正規メーカーに出したら高いけどね。うちは独自に工場と繋がってるから」

提示された金額は知人が示したそれで十分に払える範囲だった。
おおっ、さすがオヤジ! 格好いいぜ、オヤジ! さすが私の見込んだ男だぜ、オヤジ!
工場との値段交渉もオヤジがやってくれるというので、全面的にお任せした。素人の出る幕は無い。
ちなみに、所要時間は三十分ほど。この間、私は立ちっぱなしでオヤジは座りっぱなしである。わはははは、いいねぇ、この雑な接客。

「いい時計ですよ。半世紀前に買われたなら、その時の倍の値段がするだろうから――大事にしてください」

帰り際に、にやりと笑ったオヤジからの褒め言葉は、そのまま知人に伝えさせて貰った。


*****


結局、時計は基盤が丸ごと機械油で駄目になっていて、中の部品を総取り替え。それでも知人の予算の範囲に収まった上に、予告されていた時期よりも早く返ってきたのだから、こちらとしてはオヤジの手腕にただただ脱帽するばかりである。

「――普通はこの値段で出来ないからね。これで後、十年は持つよ」

後日、受け取りに行った時に、にやっと告げたオヤジの言葉がニクい。
果たして十年後、このオヤジはこの世にいるんだろうか。思いながらテナントを後にする。
絶対に仕事は一緒にしたくないけれど、何かを頼むにはああいうオヤジが信頼出来るんだよなぁ。
思いながら何気なくネットで、あの時計店を検索をしてみる。なかなかに辛辣なレビューと評価が並んでいた。案の定、同じ市内にある他の時計店に比べて圧倒的に星の数が少ない。コメントがあるな、どれどれ……。

「店主の態度が悪い」
「店主が上から目線」
「店主が客より偉そう」

わっはっはっはっ。
仰る通り。
その通り。
否定はすまい。
――けれど、面白いんだよなぁ、ああいうオヤジ。分かるかなぁ、分っかんねぇだろうなぁ。
そして、あのオヤジは、こんな評価が付けられていることなど露とも知らずにあのカウンターで持ち込まれるであろう時計を待っているに違いない。
どこ吹く風、とはこのことか。仮に面と向かって言われても、あのオヤジならば気にしないだろうし、ネットに何を書かれていたってノーダメージなんだろう。
現代社会で、これほど強いことは無い。
いや、本当に。面白すぎるだろうあのオヤジ。かなり好きだ。――まぁ、絶対に仕事は一緒にしたくないんだけど。

思いながら、あのオヤジのお眼鏡に叶うような時計が無いか、ついつい探してしまう自分に気付く今日この頃である。