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ファッションと美容の境界線 および詩歌における身体性についての私的雑感

 こんにちは。銀野塔です。
 まあタイトル通り本当に私個人の雑感かつ長文です。お暇でお気が向かれましたらどうぞ。

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 ファッションと美容って、多くの人の場合グラデーションしてるんだろうなと思う。ファッションと美容をどう定義するかにもよるけれど、この文章では便宜上、ファッションは「身につけるものや持ち物(バッグや傘など)に関すること」美容は「ヘアメイク、あるいはエステなど、身体に直接何かを施すこと」としておきたい。
 何を着るかによって、メイクの色やテイストを変えたり、ヘアアレンジを変えたり。そういうふうに連動するものだと思う。
 が、近年、私にとって、その二つの境界線がどんどんくっきりしてきた。どういうことかというと、私はファッションになら興味は持てなくもないが、美容には持てない、という自覚がだんだん強まってきたということである。
 若い頃は私もちゃんと(?)グラデーションしていて、その日の服のテイストによってアイシャドウやリップの色を変えたり、またそれほど凝る方ではないにしてもヘアアレンジを変えてみたりもしてた。だけれどもある程度の年齢からはメイクの色もだいたい2パターンくらいになり、ヘアアレンジとか面倒なこともしなくなった。まあそれは私が、会社員をわりと早くにやめて、その後はずっとだいたいカジュアルが通用する環境にしかいなくなったというのもある。が、そういう環境でもおしゃれをする人はすると思うので、やっぱり私は美容に熱が入らない人なんだと思う。いや、ファッションにだってそんなに熱心な方ではないのだが。
 そもそも化粧が苦手。技術的に下手(それもあるけれど)というよりは、化粧ということ自体が好きではない。要するに、化粧品が肌にくっついている感覚が苦手。だから外出前に化粧をして、外出している間は緊張感でそれなりにやり過ごしているが、家に帰ったとたんに「化粧落とさないとくつろげねえ!」という感じになり速攻落とす。いつか新聞で「妻は夫に化粧をしていない顔を見せるべからず」みたいな家訓の家があると読んで「そんな家の男性とは絶対結婚できねえ」と思ったものだ。誰とも結婚しないまま今に至るけれども。
 綺麗な色のアイシャドウやリップなど見ると、ああこんな色で粧ってみたいという気持ちが起こらなくもないのだが、結局、あまりはっきり色が出るほど何かを塗るのも好きではなく、綺麗な色のものを買っても実質持ち腐れるのである。ネイルアートとかも楽しそうだと思いつつ、面倒だしやっぱりやってると落ち着かないというのが私の場合勝ちそう。マニキュアやペディキュアもあまりしたことがない。
 そういや「美容院」という場所にももう十年以上行っていない。というわけで適当セルフカットで済ませている。そして、白髪をごまかすのも面倒になり(自分でヘアマニキュアでやっていた)、近年髪を短めにしてついにグレイヘア移行してしまった。ヘアアレンジのあれこれにしても面倒だし整髪料の類もあまり好きではないしというわけで、洗う、とかす、以外の手入れはしていない。
 あと、肌のお手入れ関係も、パックだのなんだのって手間暇かけたことはほとんどない。紫外線に負けやすいたちなのでSPFとPAの高い日焼け止めは必須だが(その感触もあまり好きではない)。もちろんエステとかその類に行ったこともなく。
 自分の美容関係で「こうだったらいいのにな」という悩みがないわけではないのだが、しかしたとえばエステとかに行ってそれを解決しようとするのもなんだかな、なんで金払って自分の身体を否定しなきゃならんのだ、と思ってしまったり。

 なんか要するに「身体を加工する」感じが駄目なんだろうと思う。整形とかタトゥーとかっていうハードなレベルの加工じゃなくても、表面に何かを塗るだけの化粧という加工でも。
 そこへゆくとファッションの方は、身体を直接どうこうするわけではなく、身体につけるだけなのでまだしも興味を持てるのかな、と(ピアス除く。ピアス無理)。
 で、美容は身体を加工するわけで、それは「よりよい身体として自らを見せたい」ということで、その欲求自体は多分自然なことなんだけれど、よりよい身体として自らを見せたいというのはすなわち身体性の強調だよね。多分私が駄目なのはそこなんだろう。なんか、自分の身体性は透明化しておきたい。で、ファッションは私の身体性をコーティングしてくれるものとして機能してくれるから、私はファッションになら若干の興味は持てるのだ。
 もちろん、ファッションの中には身体性を強調するタイプのものも多い。だけれど、私は、特に近年は、そうでないものを選ぶという傾向がどんどん強くなっている。身体性をコーティングして、私という存在をある意味記号化してくれるような服やアクセサリーや持ち物。そういやファッション記事を時にのぞくと「三首出して抜け感を」とか書いてあることがあるけれど「抜け感とかいらないから首も手首も足首も隠させてくれ!」って思う。三首出すってやっぱり女性の身体性の強調って意味が大きい気がするから。だからそういう意味では、タートルネック、長袖、ブーツで過ごせる時期が一番落ち着く。タートルのセーターやカットソーがいつの間にか増えた。夏に向けて半袖になるのが遅く、夏が終われば長袖に戻るのが早い。
 あ、そういやストッキングというのもすごく苦手。あれは肌に貼りつける人工皮膚みたいな感じがする。そして身体性を強調するものだ。勤め人だった頃は履いていたけれど、化粧同様帰ったら速攻脱がないと無理だった。もう近年は葬式以外で履いていない(タイツは身体性の強調よりはコーティングだと思うし秋~春の外出時は防寒上必要なので履くけれど、でも家の中ではやっぱりくつろげないのでタイツはなしで、ジャージかレギンス的なものと靴下という組み合わせにする)。

 さてそういうところに新型コロナウィルス禍がやってきました。在宅ワーク推奨、マスクよろしく。それ以前、三年くらい前からほぼ在宅ワーカーになっていた私、外出の機会が減って「化粧する機会が減って嬉しい」ってなってたところにさらに外出の機会が減り、さらにマスク必須になったので全く化粧をしなくなった。ただでさえ化粧の感触苦手なところにマスクとのコンボは無理無理。どうせマスクで顔ほぼ見えないし。
 そしてマスクはもちろん感染対策のためだが、私にとってはもう「顔につける外出着」くらいの存在になっている。顔をコーティングしてくれる服。布マスクをいろいろ買って、服に合わせて選んでいる。不織布マスクが推奨されているのは知っているが、私の必要最低限の外出はほぼ密にならないものばかりだし、また用心するべき時には布マスクにマスク用フィルター(好きなサイズにカットできるものを買った)を仕込んでゆくし念のため不織布マスクも備えている。不織布マスクでも色や柄のものもあるようだが布マスクの方がやっぱり選択肢は広いしファッション性も高い気がする。といってもそれほど見るからにおしゃれですね、というようなマスクをそろえているわけでもないのだが、まあとにかく布マスクは色柄のヴァリエーションがあって、さらに云えば、布製マスクの場合、ゴムの長さが自分で好きに調節できることが多く、心地よくフィットさせて使えるというのもある。外出から帰ってきて、手や顔を洗うときにマスクもちゃちゃっと洗って干すのが完全にルーティン化した。今の季節はそれを部屋干しすればエアコンによる空気の乾燥を防ぐ手立てにもなる。

 そうやって化粧離れした一方で「あれ、私、わりとファッションについて考えるの、好きかも?」と思うようになってきた今日この頃。といってもブランドがどうこうとかファッション用語とかにはまったく詳しくない。ただ、どういう色柄の、どういうテイストのものをどういう風に身につけたいか、ということを考えるのはわりと楽しいぞ、と以前より思うようになったということ。自分をどうコーティングしてどういう記号として見せるか、みたいな。
 ほぼ在宅ワーカーになる前は、だいたい面倒くさがりなこともあって、日々出て行くのに服を考えるのがどちらかというとおっくうになっていた。しかし在宅ワーカーになったことで心身に以前よりは余裕ができて、その分ファッションについて考えるのが楽しくなってきたのかもしれない。ただ、楽しくなっても、実際に何かを着たり持ったりして出て行く機会は在宅ワーカーゆえにぐんと少なく(私生活でも出不精)、またそれが新型コロナウィルス禍でさらに少なくなっているのが皮肉な状態ではあるが。ただ、考えるだけでも楽しいのは楽しいので「次に出かける機会があるときには」と頭の中でいろいろコーディネートを練っておく。

 余談だがパーソナルカラーとか骨格診断とかあるが、まあこだわりすぎずに身につけたいものを身につけたらよいがな、と思っている。パーソナルカラーに関しては私はウィンター混じりのサマー(自己診断)で、それで似合うとされる色と自分の好みの傾向が幸運にも一致しているが。でも骨格診断に関しては正直自分がどのタイプかようわからんしプロに見てもらうほどこだわりはないし、骨格診断にこだわると着る服のテイストが限定されそうなのがちょっとやだなあと思っている。ストレートが似合うとされるシンプル系も、ウェーブが似合うとされるやわらか系も、ナチュラルが似合うとされるざっくり系も着たいよ。私の骨格がどうであれ、セクシー系とかゴージャス系とかは似合わないと思うのでパスだが。それは身体性を強調する気がないということと呼応しているとも思う。それに化粧離れした人としては、そういう服はばっちり化粧しないと無理そうだというのもある。化粧しなくてもまあありなんじゃないかと思う、シンプルカジュアル系が軸。
 あ、今ふっと思い出したが、ロリータファッションがもし若い頃にあったら着たいと思ったと思う。あれこそ究極のコーティング系、自己の記号化系でしょう。ただあれも化粧は結構強めに必要かしら。あれは云ってみればコーティング系の化粧よね。でも化粧品自体が苦手だからやっぱり無理だ。

 で、話はとぶようなとばないようななのだが、結局私の詩歌もそうだよね、と思った。私の書くものに身体性が稀薄な話は、栢瑚五行歌部(仮)のnoteに以前ちらっと書いた。あと、私の書くものは「自分」を透過させておきたい、というようなことはこちらのnoteに書いた
 私の書くものには身体性がなくて、で、作品のテイストを、洋服やアクセサリーをまとわせるような感覚で作ってるんじゃないかな、と。人によっては身体性そのもので言葉を選んでいたり、あるいは化粧などの美容の感覚で言葉を選んでいる場合もあると思うんだけれど、私の場合「あらわしたいものごとに似合う洋服やアクセを身につけさせてあげよう」という感覚のような気がする。あらわしたいものによってそれはシンプルなテイストだったり、わりと装飾的だったり。もちろん、そのコーディネートが常にうまく行っているとも限らないけれど。
 あらわしたいものごととそれをあらわす言葉の関係性については他にも考えていることがあるのでいずれ記事に書きたいと思っている。

 なんでそこまで私が自分の身体性を後ろに引っ込めたいか(というかたちで実は身体性にすごくこだわりを持っているということでもある)については結構深遠な問題が自分の中に潜んでいそう。以前の記事にちょっと書いた、拒食の経験もそこに要因のひとつがありそう。他にもいろいろ思うことはあるけれど、そこをぐいぐい追求してゆくのも結構しんどそうなので、そこはまあぼちぼちと無理せずにと思っている。


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