流されてきた私が、はっきりと意志を持ったとき。2

元々夫は、常日頃から
娘たちの貞操を気にしていました。
単に、父親として娘を
心配しているようにも見えましたが
私は何か変なものを感じていました。
小学5年になる娘は
少し前から、「お父さんが、布団に入って
来るのが嫌だ。」と言っていました。
うまく説明できないようだけども、
何かとても嫌な様子なんだと
理解ができたので
夫に、もう5年生にもなると
女の子は布団に入られたりするのは
嫌みたいだから、もうやめてね。と
優しく言ったのですが、
夫は憤慨していました。

その頃から夫は、
中学3年になる長女に彼氏はいるのか、
小学5年になる次女の体の変化について
聞いてきました。
特に中学3年の長女が処女かどうか
何度も聞いてきて、
他の男にヤられるくらいなら
俺がやっちゃおうか、などと
口走るようになりました。

当時私は、夫の命令で
週に2回から3回、コンビニの
夜勤の仕事をしていました。
私が居ない夜、子ども達に危険があったら、
私が子どもの頃に感じた
あの嫌な感覚、そんなものを
自分の子供たちが感じてしまったら、、、
急に視界がクリアになるのを
感じました。
私は、私の子ども達を
守らなくてはいけない。
私は、そのために生きているのだ。と
そうはっきり感じました。

私はすぐに行動を起こしました。
方法は、DVを受けて脱出した人たちから
聞いていたので、
とにかくすぐに市の女性相談の窓口に行き、
これまでの夫婦生活や、
最近の夫の様子を話しました。

市では、緊急性があると判断してくれて、
一週間ほどでシェルターの用意を
してくれました。
その間に警察に事情を話し、
捜索願い不受理届けを出して、
その時使っていた携帯を解約し、
新しい契約もしました。

本来、中学生の男の子は
シェルターには入れません。
でも、長男には知的障害がありました。
子供も6人と多くて
下の子達3人、半分の子達は
施設に預けたらどうか、と
言われました。
私は、6人全員連れていきます。
そうでなければ、脱出はできないし
夫がもし娘たちに何かするようであれば
夫を刺します。と言いました。
そんな事情もあって、シェルター探しは
大変だったようですが
私が話していたDV被害に合っていた人たちが
知り合いのシェルターの人に
私たちのことを話してくれていて、
シェルターから私たちを
引き取ると言ってくれたようです。

私は、この世のすべてに感謝しました。
今の私があるのは
この時動いてくれた人々のおかげです。

長女だけには、脱出の数日前に
話しました。
中学3年の、受験の大切なときなのに
母親の私がした大きな決断を
認めてくれました。

私と6人の子ども達は
夫のもとから脱出しました。

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