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起承転結の起は、声を上げることで始まる。

もう12月。最近また仕事を辞めて時間が出来たので、焦って転職活動をしていましたが、自分のやりたいことを考え直すことが出来ました。

やりたいことを自分に問う。毒親育ちには中々しんどいことだと思っています。なぜなら、やりたいことを搾取され続けておとなになった人がきっと多いから。アイデンティティを習得する過程を阻害されていただろうから。

今、SNSやブログ、Youtubeで毒親育ちが解毒する方法とか、被害の話とかを発信しているのを見ます。自分もこうしてnoteで文章を書いています。被害者が声をあげることが出来る手段があるのって、社会が変わっている証拠だと思うのです。

物語は、起承転結の起がないと始まらない。

この言葉は、小説かアニメからの引用。完全犯罪をするには、犯罪が誰にもバレなければいい…みたいな流れの話でした。(物騒)
なにかが起こらなければ、物語は始まらない。

被害は、声を上げないと生まれない。残酷だけど、そう考えます。毒親の被害は、外から見えづらい。どれだけ親から加害されていても、社会とのつながりが薄い子供のときはきっと誰も助けてくれなかったでしょう。彼らは、見えないところを狙って傷をつけてくるから。手を差し伸べたくても、差し伸べられない思いをした人もいるんじゃないでしょうか。

私は今でこそ親から受けたことを笑い話のように誰にでも話せますが、その話を聞いて私より悲しんでくれる人、怒ってくれる人がいました。でも、そんな話が本当にあるんだねと言われたこともありました。

被害を声に出すことは、辛い記憶を思い出すことにもなります。フラッシュバックが起こる人だっている。だから、無理はしない。声に出せる人が、出していけば。被害を減らすことにもつながると思うんです。いつか教科書に毒親という言葉が載れば。毒親に対する支援制度が出来れば。

誰か、どうにかしてくれと何度叫んできたことか。自分の家が逃れられない牢獄に感じたことはきっと忘れない。どうにか、声を上げて、立ち上がって、自分たちの生きやすい未来に変えていきたい。


なんの力もない若者が、小さくここで声を上げる。
それはきっと、意味があると思うから。


ここまで読んでくださってありがとうございます。毒親育ちの自分に嘆くばかりだった人生から、少しずつ前を向けるようになりました。このnoteは、誰かが前を向くきっかけになればいいな、と思っています。もしよければ、また覗きに来てください!