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【映画メモ】愛を読むひと

■公開 :2008年/アメリア(アメリカ・ドイツの合作映画)、2009年/日本
■原作:朗読者/ベルンハルト・シュリンク 著(1995年出版)
■監督:スティーブン・ダルドリー
■脚本:デヴィッド・ヘアー
■キャスト:ケイト・ウィンスレット、レイフ・ファインズ など

※ネタバレあり。

5〜6年ほど前に一度観て、ずっと心に残っていた作品を再び鑑賞。そして原作も読みました。映画は原作に忠実に作られていると私は感じました。映画のほうが、やや救いのある終わり方にしてある気はしましたが。


考えさせられる系のストーリー(人の心の複雑さが描かれていたり、結末が観客の想像に委ねられていたりするような)を観ると、私はいつも他の人の感想や考察を聞きたくなります。今回も鑑賞後すぐに「愛を読むひと」「感想」とネット検索しまくりました(笑)


前回、歴史に全く詳しくない私がうっすらと理解できたのは、教育が行き届いていない時代に起きた悲劇であるということだけでした。でも今回、歴史に詳しい方の考えにも触れてやっと分かったことがたくさんあり、前回とはまた違う感想を抱きました。


ハンナとマイケルに、親子ほどの年の差がないと物語が成り立たなかった理由。作者は決して、ただの年の差カップルの切ないラブストーリーを描きたかったわけではないこと。ドイツ国民の世代間に入った「ナチスドイツに対する考え方の違い」という亀裂。そして前回は、「罪悪感はないの?反省していないの?」と違和感を覚えた、裁判中のハンナの太々しいともとれる態度も腑に落ちました。

ハンナの罪は、本当にハンナ一人が背負わなければならなかったものなのか(残り5人の被告たちと同罪、という意味ではなくもっと広い意味で)と、疑問に思ったのです。


でもだからと言って、ハンナたちが犯した罪は許されるものではないのも事実。罪なきたくさんの人の命を奪ったハンナたちの行動は、非人道的で、二度と繰り返してはならない過ちに違いありません。

ただ、ハンナの「あなただったらどうしましたか?」という問いに、迷いなく「私ならそもそもそんな仕事に就きません」と答えるには、最低限度の教育と生活の保障が必要なのだと思いました。そしてハンナたちの行いを「酷いことだ」と感じられる自分の恵まれた環境に、改めて感謝せずにはいられませんでした。

当然ながら、時代が変われば人も変わります。国とは人が作り上げているものなのだということを再認識出来る物語だと思います。時代が違えば罪に問われることもなかったであろう(本当はそれが間違いなのですが)ユダヤ人迫害に加担した人々が、道徳を学んだ新世代が作り上げる国によって裁かれるわけですから。日本にだって合法的にバッサバッサと人が切り殺される時代があったわけですし。

知識や情報が不十分であった時代なら情状酌量の余地もありますが、これほどまでに自由に情報を得られる現代に生きる私たちは、常に自分の頭で考え、判断しなければならないのだと強く思いました。例え親でもメンターでも、大企業の社長でも総理大臣でも、みんな人間で、完璧な人間などいないということ。そしてそんな不完全な存在によって成り立っているのが国であるということを、決して忘れてはいけない思いました。信じることと同じくらい、疑うことも大切なのです。

もっと根深いヨーロッパの歴史の闇とやらについても、他の方の感想を拝読して少し知り、それによって感じたこともありますが、知識の浅い私が正しく理解出来ているとは思えないので、割愛します。気になる方は調べてみてください。とても詳しい考察をたくさんの方が書かれています。

また前回は「登場させる意味ある?とってつけたみたい」と疑問に感じたマイケルの娘の存在が、今回は「平和で平等な、新しい時代への架け橋」なのだなと感じられました。マイケルが娘に、ハンナとの想い出を語るエンディングに、脚本家や監督の、願いと意志を見た気がしました(原作ではないシーンです)。

そしてタイタニック時代から大好きなMs.ケイト・ウインスレットはやっぱり最高で、ハンナ役が彼女でなければ、原作を読もうとも、もう一度観ようと思わなかったかもしれないと思うほどでした。瑞々しい色っぽさが魅力的だったタイタニック時代とは、また違ったMs.ケイトの存在感に引き込まれました(レボリューショナリー・ロードのときもそうでした)。


「もっと見たい」「また見たい」と思わせられる中毒性のある彼女の魅力は、それだけでも観る価値があると思うくらいです。

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