見ることと見えないもの

去年のクリスマスに、ずっと欲しかったプラモデルをサンタさんに頼んだ。「高すぎるので駄目です」とクリスマスの1週間前にお手紙が届いた。
代わりに僕の枕元に届いたのはサッカーボールだった。僕は運動が嫌いなのに。
その日僕はサンタさんの正体がお父さんだと気づいた。小学生になってからずっとずっと僕にサッカークラブに入れと言ってきていたからだ。お父さんはバレていないと思っていたみたいだった。喧嘩になった。

今日はお正月。お年玉を貰った。僕の家は親戚がいないので、お母さんとお父さんから1枚づつ一万円札を手渡された。1度くらいお年玉袋で渡されてみたいと昔から思っているけど、言うことができないでいる。
小学校4年生でお年玉二万円は沢山貰えているとお思いかもしれない。ところがどっこい、僕はこれから1年間この二万円だけで電車代やお菓子や文房具や欲しいものを買わないといけない。僕の家にはお小遣いという制度はないからだ。当然ゲーム機なんて、友達の家でしか触ったことがない。
なんで僕の家にはお小遣いがないの?と聞くとお母さんは困った顔をして笑った。お父さんは大人になるためにはやり繰り上手にならないといけないからその練習だ。と言っていた。それが本音なのか建前なのかは僕には判断がつかなかった。
でも僕は去年のクリスマスに不満が溜まっていたから、折角だからこのお金で大人ができないぐらいとびきりの贅沢をしたいと考えた。普段は大人の方が僕より出来ることが多いけど、子供の僕にしかできないことだってきっとあるはずだ。沢山考えた。
七草がゆを食べる日になるまでずっと考えていた。毎日2枚のお札をじいっと眺めていた。
七草がゆを食べる日にも食べながらお札を見ていた。お父さんもお母さんも奇妙なものを見る目つきで僕を見ていた。

「お札にお粥こぼすなよ」

お父さんが馬鹿にするように笑いながら言う。

「なんでこぼしちゃ駄目なの。普段ポテチ食べながら宿題してても文句言わないのに。教科書もこれもただの紙じゃん」
「お札はただじゃない紙だぞ。それが沢山あればなんでも出来るんだから。欲しいものだって買えるし、好きなところに行けもするだろう?服だって買える」
「そうよ。いらないならお母さんが貰っちゃうわよ、新しいコート買いたいの。今使っているの、ゴワゴワしてきちゃって」

お母さんがため息をついて、僕のお札を見ている。本当に欲しそうだった。
お父さんとお母さんが言っていることは分かる。お金って価値のあるものだ。でも、僕はこの7日間じっとお札を見続けていたから、ただの紙にしか見えなくなっていた。
むしろ、細かい線で細かい絵がぎゅうっと詰まっているお札が、イラストが印刷されたペラペラ紙のポストカードに思えてきていた。そういえば細かい絵が描かれているものを大人は大事がるなあ。

「あ、そうだ!」

僕は両親が驚くのも気にせずに声を上げた。お母さんに一万円札を1枚差し出す。お母さんはあらっ!て様子で目をパチパチさせている。

「あげないよ。あげないけど、これを両替してほしいんだ。五千円札を1枚と、千円札を1枚、500円玉を3枚、100円玉を13枚、50円玉を20枚に10円を14枚、5円を10枚、1円を10枚!」
「はいはい、面倒な事をする子ねえ。どうしてまたそんな事をするの」

お母さんはメモを取り出してきてそこに僕の両替についての注文を書き出していった。僕はそのぐらい出来るよってメモ書きを引ったくりして続いて書き出す。

「ないしょー」
「ゲームセンターの両替機、使った方が早いんじゃないの?」
「だってゲームセンターで遊ぶ用事なんてないもん。でも両替はどうしても必要なんだ。お母さんの分のお金が減るわけじゃないし、いいでしょう?」
「銀行は?」
「テスウリョウでお金減っちゃうんじゃないの?」
「お年玉以外のお金はどうしたのよ」
「…残り100円と1円が3枚。ねえ、お金の大切さを学ぶためなんだ。いいでしょう」
「本当に仕方ない子ねえ。少し待ってて」

お母さんは家の中のお金を集めて、ちゃんと両替してくれた。集めるために家中をうろうろしていたから、手伝おうか?って言ったら子供にはまだ早い、だってさ。どう言う意味だろう。
そんなこんなで僕の手元にお金が集まった。

「ありがとう、お母さん!」
「何するか分からないけど、学校の宿題もちゃんとやりなさいよ」

お母さんのその言葉は聞かなかった事にした。だってもう終わってるし。…答え合わせがまだだけど。

僕は自分の勉強机の上にお金を並べた。一万円札、五千円札、千円札、500円、100円、50円、10円、5円、1円。
一枚しかないお札はそれを、何枚かあるものはその中から1番ぴかぴかして綺麗なものを選んだ。
それらをじいっと眺める。いつもの僕がほしいものを買いたい時にする、使うお金とのにらめっこじゃなくて、なるべくプラモデルとか見る時の目で。

一万円札、机の電灯に照らすと真ん中に右のおじさんと同じ顔が見える。左端のピンクと青のギザギザとか、右下の花なのか草なのか分かんない模様がカワイイ。後ろの鳥が強くてかっこよさそう。

五千円札、昔の女の人だった。これも照らしたら真ん中に絵が出てきて、どうやらお札は全部そうらしかった。その真ん中の丸を縁取るようにたくさんのお花と上下に植物のツルがある。なんだか女子の好きなプリンセスの手鏡みたいだと思った。

千円札、これも右におじさんの顔。よく見たらおじさんの肩に名前が書いてあった。見直したら五千円札にも一万円札にも書いてあった。僕は勝手にこの人々のことを「一万円さん」「五千円さん」「千円さん」って呼んでいたので驚いた。千円札は面も裏もお花が多いなあ。女子が好きそうだ。裏には富士山。世界の行ってみたい風景の番組で紹介されてそうな見た目の富士山だった。色も塗ればいいのに。

500円玉、強そうだ。持つとちょっと重たいし。形に沿って点々で縁取りしてある。裏の植物はよく分からなかったけど、植物まで強そうだった。

100円玉、桜?多分桜だ!女子が好きそうなみちみちに密集した桜だった。葉っぱも花もぷりっとしていてかわいい。

50円玉、なんと、穴が空いている!無理矢理入れたみたいな50の数字が好きだ、なぜか。なんでかは僕も分からない。お花はタンポポかな?多分タンポポだ。名前と花の置き方がまるでおかずをのせるお皿みたいだと思った。

10円玉、レアなぴかぴか10円玉だ!10円ってなんでこんなに色に違いがあるんだろう。僕はぴかぴか10円の方が大好きだ。10円はリボンから葉っぱの装飾が飛び出ていて、それが数字を包むように書いてある。なんだか50円玉の50とえらく扱いが違うなあって思った。10円の方が50円より偉そうだ。

5円玉、これも穴が空いてる!地面とお米?地面に5円と書いてある。中心の穴に沿ったお米の形がクールだ。裏面は文字だらけ。でも文字と文字との間にちょこっと描いてある、これ、双子葉だ!双子葉が描いてある!四年生になって、双子葉について習ったところだ。なんだかテンションが上がった。

いよいよ最後の1円玉、軽い。ひとつだけ違うお金みたいだった。丸で1を囲んでいるのはなんでなんだろう。スーパーヒーローの胸にSって書いてあるのを思い出した。裏の葉っぱ、僕は好きだな。竹だろうか?アイキョウがある。

そうして全部のお金を見終わった。だけどもう一度、お札なんか特に、慎重に見返した。何か面白い発見とか、絵とかないかなって思って。

これが僕の考えた「大人ができないぐらいとびきりの贅沢」だった。

だって大人はお金を大事に持つのに、ポストカードや絵画はきれいねえって見るのに、お札にはそれを言わない。お札だってこんなに面白い絵が書いてあるのに、お札じゃなくてお札の向こうっ側。お札で手に入るもののことばかり考えている。
それはお父さんお母さんが特別にじゃなくて、大人になるとみんなどうもそうなるらしかった。
けど運の良いことに僕はまだ子供だ。見ようと思えばこうやってじいっとお金の絵を見ることができる。
テレビでやってた。みんなから愛される絵は価値が高いって。お金はみんなから愛されるから価値がある絵だ。
それを大人は楽しめない。子供の僕は、楽しめる。それって飛び切りの贅沢じゃないか。

「なんでお金をそんなに眺めてるのよ、将来はシュセンドかしらねえ」

勉強机でニヤニヤしている僕をみて、お母さんはため息をついた。お父さんは腕を組んで僕と同じようにニヤニヤしている。多分お母さんにだけ語っているつもりで、子供って馬鹿だなあと呟いた。
僕もそんなお父さんとお母さんを見て、大人って馬鹿だなあって心の中で思った。

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