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#元気をもらったあの食事(30年以上前の北海道厚岸にて)

あれは、大学2年生の頃だから、今から30年以上前の話だ。

その年の夏。ボクは、自転車で北海道を一周していた。

昭和60年7月29日。
自宅の川崎から、都内を通って、
国道4号線を上り、野宿をしながら北海道を目指す。

矢板、二本松、古川、盛岡、野辺地で野宿をした。
青森市に着いたのは、6日後だった。
青森ねぶた祭りを見て、青函連絡船に乗り、朝、函館に着く。

「元気をもらったあの食事」とは、
出発から2週間後の8月10日、北海道厚岸町で出会うこととなる。

ボクは、一人での自転車旅だった。
当時は、同じように北海道を目指してくるサイクリストが、たくさんいた。
そこでの出会いから、「#元気をもらったあの食事」にたどり着くのである。

ボクは、その時のことを日記として記録していた。
当時の記録を抜粋したい。

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昭和60年8月10日土曜日(池田⇒厚岸)晴れ(霧)

〈一部抜粋〉

郵便局へ行く。今日は第2土曜日。そして、土曜日は昼までとわかり、ガックリする。
財布を覗くと、651円しか入っていなかった。
さて、どうしよう。
身体あっての旅である。自転車で走りながら、自分が今とんでもない状態であることを痛感した。
厚岸に着き、駅に行くと、東京電機大学の2人がいた。
自炊に混ぜてもらうことになった。
助かった!
今日は厚岸駅付近で野宿するつもりである。
明日は大変だ!しかし頑張るしかない。やるぜ!

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今でも、あの時に助けてくれた、東京電機大学の2人に感謝したい。
今となっては、どこの誰かも分からないが・・・。

あの日。
自炊に混ぜてもらい食べた、ハンゴウで炊いたご飯。
涙がでるほど、うれしかった。
そして美味かった。
本当に不安の中、元気をもらえたご飯だった。

今となればウソのようであるが、
当時はキャッシュカードなるものが、一般的でなかった。
全国どこにでもある、郵便局の通帳と印鑑を持って、旅をしたのを思い出す。

そして、今のように、コンビニなどほとんどない。
ましてや、北海道の地。
若気の至りか、少しイキガッているのが、日記ににじみ出ているが、
心の中は、相当不安だったと思う。

あの時に助けてくれた2人から、いただいたご飯。

本当に、ありがたく、
30年以上経った今でも、忘れることができない。
人生の中で、最も元気をもらった食事だったと思う。


最後に、東京電機大学のお二人へ、

きっとお二人とも、ボクと同じような年齢になったことでしょうね。
あの時のことを、ボクは今でも思い出します。
本当に、心から感謝です。

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