見出し画像

緊急事態宣言ってホントに必要だったの?欧米とは異なる医療崩壊の質

医療崩壊寸前といわれていたわりに感染者数が少なくありませんか?

自粛がうまくいって、新規感染者数が下向きのカーブに入りましたね。今日、5月11日は東京都の感染者数が15人だったそうですね。このまま0人になる日もそう遠くないかもしれません。緊急事態宣言なんて必要なかったんじゃないかという声も時々TVからちらほら聞こえてくるようになってきました。喉元すぎれば熱さを忘れるとはこのことでしょうか。このまま放っておけば世論は、恐怖とヒステリーの連鎖から一気に開放されて、そもそも緊急自体宣言は必要があったのかという論調に移行しかねません。何の内省もなしに。。。

東京都は医療崩壊寸前といわれていたわりには感染者数が少なくありませんか?たとえPCR検査が少なかったとしても、死者数やそこから推計される感染者数が欧米のメガシティと比べても少なくありませんか?本当に私達の身近にまで危険が近づいたのでしょうか?

PCR検査が少ないことが問題になっていますね。特に、何回も保健所に電話したり病院をたらい回しにされた結果、手遅れの状態になってから陽性が判明し亡くなるケースは悲惨としか言いようがありません。今回、新型コロナウイルスから私達の身体を守るための防波線には目立ったボトルネックがあったと私は考えます。つまり、数少ないボトルネックのために、PCR検査を十分数実施できず、それをベースとした次の行動を取れなかったと考えています。先にお断りしておきますが、ここから状況証拠から導いた私の考えであり、証拠が間違っていれば結論も間違っている可能性があります。私が考えるボトルネックは医療体制、厚生労働省の人員不足、保健所の人員不足です。医療体制が限られていることがネックになってPCR検査数が増えず、PCR検査数が増えないために感染状況が誰にも把握できず、政治的な政策に反映しづらいという状況を作ってしまったように思えます。

- 医療体制(感染症用病床数、感染症用ICU、人工呼吸器、ECMO、人員、薬、マスク、防護服 etc)
- 厚生労働省の人員不足
- 保健所の人員不足
- PCR検査
- 財政問題

まずは医療体制。医療体制と一口に言ってもその中に様々なレイヤーがあリますが今回は便宜上割愛しました。日本は医療水準が高いと言われてきましたが、質の医療と量の医療は分けて考えたほうが良いでしょう。日本の人口あたりの病床数はドイツと並んで世界最高水準です。しかしながら、精神病棟等を重複計上しているのが主な理由であって、感染症病床数は少なかったのです。全国の病床は合計で2017年時点で165万病床ありますが、2020年3月下旬の時点で感染症に使える病床数は全国で約1900、東京で約120でした(2020年5月12日現在は全国で約31000病床まで増加しています)。 また、感染症に対応できるICUも不足しています。また、財務省は近年病床者数の多さを指摘しつづけています。つまり量の医療の準備が直前まで不足していたわけです。

そして、医療体制の準備不足がボトルネックになってしまい、世の中的にPCR検査を拡充しようという発想になかなかなれなかったわけです。中にはPCR検査を増やすべきと誰かが発言すると「それは医療崩壊を招く。君は何も分かっていない。」といった態度でマウントをとってくる人や、「病院があふれるのが嫌で(PCR検査の)条件を厳しくしていた」というさいたま市保険所長まで現れるようになってしまいました。しかしながら、たとえ病床数だけを充実させても、他の要素(人員、薬、ECMOなど)が不足してしまってはそれらを十分活用できません。

また、PCR検査にかけられる人員、患者をさばく保健所の人員、大枠の方針を指揮する厚労省の人員も不足していました。千葉県松戸市のスタートアップ企業が検体採取後の検査処理を自動化した検査機を共同開発して駐日フランス大使から感謝状を送られました。PCR検査を自動化するというのは一つには検査にかかる人材不足を解消できるだけではなく、医療従事者がPCR検査の際に二次感染をして戦線から離脱するリスクを軽減しますので二重に人員不足解消に貢献するのです。

また厚労省はPCR検査の対象を発熱が4日以上続く場合に設定したり、ナイトクラブや風俗業を休業補償の対象外としたり、保健所を経由しない民間検査をなかなか許可しなかったり、アビガンは現執筆時点では承認されていなかったりと今回は失策が多かったわけです。ほとんど情報がないので、どの程度直接的に影響があったかは分かりませんが、厚労省の責任は重大でしょう。しかしながら、単純に全面的な責任を厚労省に求められるでしょうか?この自体の結果責任は我々国民が国家公務員の人員削減を求めてきた賜だと私は考えます。ほんの3ヶ月前だったら、だれがこの声に耳を傾けたでしょうか?

つまりまとめると、以下のような連鎖が起きていたと思われます。

医療体制が準備不足 => 医療体制の充実を前提としたPCR検査数の拡充を実施できない => 数理モデルによる感染者数の推移予想ができない => 感染者数を前提としたクラスタ感染対策が打てない => 無症状感染者数の把握ができない => 一般外来で無症状感染者が二次感染・救急救命で二次感染 => 医療従事者が離脱 => 更に医療を逼迫する => 緊急事態宣言による外出自粛

つまり国際的に比較すると、日本では対人口比で死者数に達していないにも関わらず、あっという間に一部医療崩壊が始まったわけです。死亡者に対する検査が徹底されていないのは承知していますが、イタリアやUKのようなレベルになっていれば感染症以外の死者数として既に数に現れているはずです。薄紫色のJapanは0-5の範囲で推移していますが、フランスは420、イタリア500、UK500となっています。国によって医療崩壊のタイミングや定義の違いがありますので単純比較は出来ませんが、死者数には約100倍の差があります。

緊急事態宣言は本当に必要だったか?

https://vdata.nikkei.com/newsgraphics/coronavirus-japan-chart/

現在5月11日時点で感染者数の収束が間近に見えてきました。東京都は新規感染者数が15人と、いつか0人になる日もそう遠くないのではないかと思います。しかし、これは今のところ感染の第2波への対処はうまくいっているというだけという話。このまま国民の側の内省がないまま一気に開放に向かって良いのでしょうか?我々世論ははいつも片方の極からもう一方の極を往来してばかりです。しっかりと内省をし、感染の第3波、第4波に備えるべきです。

最初の問に答えるならば、私は緊急事態宣言は必要だったと考えます。緊急事態宣言がなかった場合、1日新規感染者数が1万人を超えると西浦教授は試算していました。また、緊急事態宣言直前のことを考えると、イタリア、UK、USで指数関数的に死者数がうなぎのぼりになっている状況で、東京のような世界1・2位を争うようなメガシティで同様の医療崩壊が起こらない保証はありませんでした。危機管理の基本はまずすべてを禁止して、安全と思われるところから開放していくことだと思います(deny all and allow some)。なぜなら、感染者数に関連する係数を限定しなければ全体像を把握するのは難しいからです。英国は当初経済とのバランスを試みたため通常生活を優先させましたが、結果的にロックダウンのタイミングが遅れたことが、イタリアより多いヨーロッパ最悪の死者数を意味する事態になってしまいました。

それに、この病気はまだ抗体がどの程度持続するか(数カ月後も人間の力で治せるか)よく分かっていません。また、一度感染した人が肺にどのような後遺症を残すのか、はたまた遠い将来に全く別の部位に後遺症を残すのかまだよく分かってないのです。例えば全く科学的でないでたらめの例を挙げるなら、ワーストケースの場合、川崎病のような症状がでるのか、手足口病のように数年後に心筋炎の原因になるのか全くよく分かっていないわけです。だから、早く感染して「一抜けた」すればいいというわけではないと思われます。

そして、このウイルスは既に南半球に到達していますから、そちらで感染者数が多い状況になると変異を起こしやすくなります。ウイルスは地球上で感染のホットスポットを移動させがら変異をくりかえし期間をまたいで第3波、第4波として日本に到達することをくりかえさないとも限らないわけです。新型コロナウイルスは感染力が強く指数関数的に感染しますので、何の準備もなく一度に大きく手を緩めると、先の英国の例やドイツの外出制限解除の例のようにあっという間に感染者数が拡大する可能性があります。

もう一つ、国民の側の内省が重要である点としては、科学による政府と国民の間のコミュニケーションがあまりうまくいっていないと思われるからです。政府による科学的なコミュニケーションとは「今後このような感染者数の推移が予想されます。ライフライン系の業種を再開した場合は感染者数はこのような遷移をすると思われます。間違っている可能性もありますが、誤差を〇〇の範囲と捉え、再開を実施する決断をしました。」というようなものです。この記事を簡単にご覧ください。

情報を小出しにして世論を醸造していく政府のやり方、そうさせている国民に反省の余地があると思います。情報を積極的に取りに行かない、科学よりも評判、政治家の判断だけにに頼り切ってしまう姿勢、また失策があれば政治一点だけに責任があるかのように転嫁してしまう姿勢。こういう国民が多ければ、政府と国民の間における科学的根拠にもとづくコミュニケーションは成立しないでしょう。情報の小出しはその代替手段として便利に使われているように思われます。

メディアにも不安があります。他国で伝えられているような回復者数、アクティブ感染者数、死者数の推移などのグラフをニュースで見るためには多少の努力が必要でしょう。当日の感染者だけはTVで連日伝えられています。しかし、PCR検査数が少ない中それだけで何を判断すれば良いのでしょうかというのが正直なところです。

それから、やはり緊急事態宣言実施のタイミングが遅れたのは経済や財政が逼迫することを恐れてでしょう。このことは西村経済再生担当大臣を新型コロナ対策担当大臣に当てたこと、つまりサイエンスよりも経済を優先と判断したことからも見て取れます。経済危機を招いてしまえば罹患者は救えませんし、感染者を増やしすぎても罹患者は救えません。政府は絶妙にこの二兎を追う舵取りをしければいけいない状況になってしまったのです。

以上、私の主張をまとめるとこのようになります。

- 緊急事態宣言は必要だった
- 日本では対人口比で死者数に達していないにも関わらず、あっという間に一部医療崩壊が始まった
- うまくいっているように見えるのは、今のところ第2波の新規感染者数が減っているだけという話
- 何がPCR検査を象徴とした対応の遅れにつながったのか、国民の側の分析と内省が必要
- 第3波、第4波に備えて医療体制と制度の準備を

今日も心踊る一日を

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?