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生き方、働き方に悩む40代のおじさん。 妻とスーパー甘えん坊な猫1匹(5才の女の娘)と…

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生き方、働き方に悩む40代のおじさん。 妻とスーパー甘えん坊な猫1匹(5才の女の娘)と静かに暮らしています。 「生きるってなんだろう」という答えのない悩みを、毎日の生活の中で探しています。 そんな日常を、少しずつ書き留めていければと思っています。

最近の記事

頭痛治療家、始めました。(上)

 私の妻は子どもの頃からツライ片頭痛に悩まされていました。 大人になってもそれは変わらず、常に頭痛薬の「イブ」を持ち歩き、疲れが溜まってくると家でおでこに「冷えピタ」を貼って横になることもしばしばありました。 我が家では「イブ」と「冷えピタ」は常備品 でした。  数年前から仕事の忙しさからか、痛みが徐々に強まり、次第に眠れないほどの痛みに襲われる様になっていきました。 頼みの綱の「イブ」を飲んでも、「冷えピタ」をおでこに貼っても一向に痛みが治まらず、痛みで眠れずに寝不足

    • そして、「脱サラ」へ。

       長年勤めていた会社を辞めて、晴れて「自由の身」になった私ですが、生きていくためには当然働かないといけないわけで…。  そう思ったものの、「自分にしかできない」ことってあるんだろうか? 「代わりならいくらでもいる」仕事なら簡単に探せそうですが、いざ「自分にしかできない」仕事となるとそう簡単にはいきそうにありません。 ただ、少なくとも「組織の一員」として働くことに関しては、20年そういった環境で働いてきたこともあり、もう「お腹いっぱい」という気持ちでした。  こうして私は、

      • 会社を辞めて思うこと。

         先日(とは言っても随分前ですが…)、20年近く勤めていた会社を辞めました。  退職する最後の2年近くは休職していたので、実質20年は働いていないのですが、それでも長く所属していた場所を離れることは中々に勇気のいることでした。  「辞める」という決断に至ったのは、2年の休職の間に自分の今後の「働き方」と「生き方」についてしっかりと見つ直す時間を持てたことが大きかったと思います。  40歳手前で、ただ「がむしゃらに働く」ことが自分には合っていないのではないか?と思い始め、

        • 『2度のうつ病を経験した半生と今』#6(終)

           noteをこれから書き始めるにあたって、私のこれまでの歩みを何回かに分けて紹介しています。今回は最終回となる社会人時代(40代)編です。 6.波乱の社会人時代(40代転機編) 自分が40歳を迎える数年前から私は、 「40歳でおおよそ社会人(会社員)人生の折り返しになるのかぁ」 と何となく思うようになっていました。特に不満もなく就職はしたものの、実際に働いてみると当然ですが色々と不満は募っていくものです。 「このままこの会社で働くことが自分にとって幸せなことなのだろう

        頭痛治療家、始めました。(上)

          『2度のうつ病を経験した半生と今』#5

           noteをこれから書き始めるにあたって、私のこれまでの歩みを何回かに分けて紹介しています。今回はその第5回目。社会人時代(30代)編です。 5.波乱の社会人時代(30代挫折編) 3年から4年に1度の定期異動を繰り返すシステムだった会社から、私はちょうど30歳の時に異動の辞令を受け、霞が関への出向を命じられました。  時は民主党政権時代。「脱官僚」と「事業仕分け」を旗印に政権を取ったことで混沌とした霞が関で、官僚と一緒に仕事をすることに戸惑いを覚えながらも新しい職場で働き

          『2度のうつ病を経験した半生と今』#5

          『2度のうつ病を経験した半生と今』#4

           noteをこれから書き始めるにあたって、私のこれまでの歩みを何回かに分けて紹介しています。今回はその第4回目。社会人時代(20代)編です。 4.波乱の社会人時代(20代充実編) 「旅をする」という意味ではとても充実した大学生活を送った私は、大学卒業後、公共性の高い事業を扱う半官半民の特殊会社に就職しました。「鉄ヲタ」であり、4年間の数々の旅の経験を通して公共交通事業の魅力と重要性を改めて感じていた私は、この就職先に特に不満はありませんでした。しかし例によって、親からは「半

          『2度のうつ病を経験した半生と今』#4

          『2度のうつ病を経験した半生と今』#3

           noteをこれから書き始めるにあたって、私のこれまでの歩みを何回かに分けて紹介しています。今回はその第3回目。大学時代編です。 3.世界を旅した大学時代 歴史を学ぶ大切さと面白さを知った私は、大学へ行って歴史の勉強をしたいと思うようになりました。しかし、ここでも親の反対に遭います。 「文学部は就職に不利だ。経済学部か商学部を受験しなさい」 「歴史を勉強しても将来それで生活していくのは厳しい。やめときなさい」 高校の受験先について親の猛反発を受けた記憶がまだ色褪せない

          『2度のうつ病を経験した半生と今』#3

          『2度のうつ病を経験した半生と今』#2

           noteをこれから書き始めるにあたって、私のこれまでの歩みを何回かに分けて紹介しています。今回はその第2回目。高校時代編です。 2.歴史に目覚めた高校時代 鉄道の運転士を”一旦”諦めた私は、高校受験で自分の学力以上の高校に運良く合格し、入学しました。そこは工業大学付属の高校で、理系の生徒が多い学校でした。「自分の学力以上の高校」だったこともあり、毎日授業に付いて行くのをツラく感じていましたが、唯一楽しく授業を受けられた科目がありました。それは世界史の授業でした。  もと

          『2度のうつ病を経験した半生と今』#2

          『2度のうつ病を経験した半生と今』#1

           noteをこれから書き始めるにあたって、私のこれまでの歩みを何回かに分けて紹介したいと思います。 1.鉄道好きの少年時代  私の子供の頃の夢は「鉄道の運転士」でした。多分どこにでもいる、「電車好きの男の子」だったんだと思います。子供の頃はよく電車に乗って親戚の家へ会いに行くたびに、「今日は〇〇線に乗れる!」と心躍らせていました。私にとっては電車に乗ること自体がひとつの大きなイベントでした。  特に小田急線は祖父母の家へ行く時には必ず乗る路線で身近な存在だったため、お気に

          『2度のうつ病を経験した半生と今』#1