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『2度のうつ病を経験した半生と今』#1

 noteをこれから書き始めるにあたって、私のこれまでの歩みを何回かに分けて紹介したいと思います。

1.鉄道好きの少年時代

 私の子供の頃の夢は「鉄道の運転士」でした。多分どこにでもいる、「電車好きの男の子」だったんだと思います。子供の頃はよく電車に乗って親戚の家へ会いに行くたびに、「今日は〇〇線に乗れる!」と心躍らせていました。私にとっては電車に乗ること自体がひとつの大きなイベントでした。

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 特に小田急線は祖父母の家へ行く時には必ず乗る路線で身近な存在だったため、お気に入りの路線のひとつでした。その中でも「5000形」と呼ばれる、当時一番古い形式のひとつである車両が私は大好きでした(添付写真)。可愛らしい独特な丸みを帯びた「顔」と、2灯あるヘッドライトをいつも1灯しか点灯させずに運転している独特な哲学。そして他の多くの車両は通常、行先表示盤を駅で待つお客様に対する視認性を考慮して前面上部に表示させるところを、あえて前面下部に表示させることで醸し出されるレトロな風合い・・・。書き出すとまだまだこの車両の魅力はあるのですが、本筋から離れてしまうのでこのくらいにしておきます。ただ、これだけでも十分に私の「鉄道好き」は感じていただけたのではないでしょうか。

 さて、多くの子供は「電車好きの男の子」から、いつしか「普通の男子」になるものですが、私の場合はその生まれ持った性格からか鉄道への思い入れは弱まることなく、中学生になっても「鉄道好き」の熱は冷めませんでした。今で言う「鉄ヲタ」だったんだと思います。(いや、断言して「鉄ヲタ」でした)

 高校受験の時、本気で鉄道の運転士を目指したくて、

「鉄道の運転士を養成する専門の高校に行きたい」

と親に話したところ、猛反発を受けました。厳格なサラリーマン家庭だった私の親からは、

「まずは普通の高校へ行って、普通の大学へ行って、それからやりたいことを考えなさい」

「今から自分の人生の選択肢を狭める様なことはやめなさい」

と必死に説得されました。結局私は親の言われた通りに、"普通"に勉強して、"普通"の高校に進学することになりました。

"普通"って何だろう…?

今振り返ると、これが人生最初の挫折だったのかもしれません。


つづく

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