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ベートーヴェン《交響曲第三番》の『英雄』は、 本当にナポレオンを指しているのか(前編)

・本稿の要約
【伝説】
ベートーヴェンはナポレオンをモデルに《交響曲第三番》を書いたが、ナポレオンが皇帝に即位したという知らせを聞いて激怒し、標題を『ボナパルト』から『英雄』に変更した。

【真相】
《交響曲第三番》の標題が『ボナパルト』から『英雄』に変えられた正確な経緯は不明である。また、《交響曲第三番》がナポレオン個人を描いた曲かどうかには疑問がある。

ベートーヴェンの生涯

 五六年の生涯に、九つの交響曲・一六の弦楽四重奏曲・三二のピアノ・ソナタなど、音楽史に残る不朽の名作を遺したルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(一七七〇~一八二七)。

 一七七〇年にドイツのボンに生まれ、宮廷テノール歌手であった父から厳しい音楽教育を受けました。一七九二年からウィーンに定住し、ハイドンやサリエリといった当代一流の音楽家の指導のもと、ウィーン古典派の様式を吸収します。二〇代後半より徐々に聴覚を失い、一時は自殺を考えるまで追い詰められました。しかし、度重なる苦難を克服し、深い精神性をたたえた楽曲を多数生み出しました。

交響曲第三番『英雄』にまつわる伝説

 ベートーヴェンの作品についての逸話で特に有名なのが、《交響曲第三番》、別名『英雄』にまつわるものでしょう。


 一七八九年にフランス革命が勃発、絶対王政が打倒されました。その後英雄ナポレオン・ボナパルトが現れ、その軍事的才能でヨーロッパ中を席巻しました。

 ベートーヴェンは、ナポレオンが革命の理念「自由・平等・博愛」を広めることを期待し、彼に捧げるための交響曲を作曲します。ところが、ナポレオンが皇帝に即位したという知らせを聞いて、「あの男も所詮は平凡な人間に過ぎなかったのだ。自己の野心のために全ての人の人権を足下に踏みにじったのだ」と憤慨しました。そして、「ボナパルト」と書かれた表紙を破り捨て、単に「英雄」という標題を与えたというのです。

逸話の出所は何?

 この話は、ベートーヴェンの弟子のフェルディナント・リース(一七八四~一八三八)が書いた『ベートーヴェンに関する伝記的覚書』(一八三八年出版)に基づいています。しかし、リースの記述には若干の記憶違いがあるようです。現存する筆写総譜の表紙は破りとった形跡はなく、「ボナパルトと題された」という文字が線で消されており、代わりに「英雄的交響曲(シンフォニア・エロイカ)―――ある偉大な人物の思い出を記念して作曲された」と書き加えられています。


 とはいえ、いったん付けられた「ボナパルト」の標題が削除され、「英雄的交響曲」へと改題されたのは確かなようです。しかし、果たしてリースの伝えるような、ベートーヴェンがナポレオンに幻滅する劇的な場面はあったのでしょうか。

(続く)


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